「ここにある、この感覚」を大切にする
こんにちは、しごとのみらいの竹内義晴です。
第三者に自分の意見を話すことがあります。このようなとき、ボクは「しっくりくる感覚」をとても大切にしています。
なぜなら、「しっくりくる感覚」を感じながら話すことで、それが自分の本心なのか、それとも、表層的な考えなのかを探ることができるからです。
たとえば、自分が将来やってみたいことを第三者に話すシーンがあります。このような場合、表層的な言葉を使うと……
- お客様の役に立ちたい
- 雇用を作りたい
- 街を元気にしたい
- 未来の子供たちのために
のように、美しい言葉を使えなくはありません。逆に、周りの人の共感を誘うために、このように美しい言葉を使い、ストーリーを語ったほうがいいという人もいます。
それが、うそ偽りなく、心底そう思っているのならとてもすばらしいことなのですが、これらの言葉になんとなくしっくり来ない場合があります。
いや、うそ偽りじゃないんだな。「お客様の役に立ちたい」「雇用を作りたい」「街を元気にしたい」「未来の子供たちのために」……そういう気持ちはもちろんある。決してうそではない。けれども、そういった、表層的な言葉では表現できない、胸元にある、なんとなくざわざわした感覚……。
この感覚が一体何なのかを探してみるのです。
そうすると、「誰かのために」といった表層的な言葉から離れて、本当は、自分は何をしたいのか、何を求めているのかを探ることができます。適当な言葉が見つかったとき、「あ~、そうそう、これこれ」という感覚になり、ちょっとうれしくなります。
自分の内側にあるものと、自分の外側に伝える言動が一致していると、それは、強い行動の原動力になります。一方、内側にあるものと、外側に伝える言動が一致していないと、一時は表層的な意識でごまかすことができますが、長い間そのギャップを持ち続けていると、内側にあるものが大きくなってきて、あるとき、苦しくなってしまいます。
こうやって、感覚的なことを文章に起こしても、あまり伝わらないかもしれません(というか、ほとんど伝わらないでしょう)。
けれども、あえて言わせてください。
美しい言葉で、人をだますことはできる。けれども、ここにあるこの感覚にうそをつくことはできない。
ボクは、「ここにある、この感覚」を、とても大切にしています。