人を世代でくくるのが好きじゃない
旅行会社の社員が高校の遠足バスの手配を忘れて、偽装の手紙を送ったという事件が起こった。
ある報道番組を観ていたら、キャスターがコメンテータに向かって「普通だったらこういう対応はしないと思うのですが、世代ですかねぇ……」と言った。
「世代ですかねぇ」という言葉に、ボクの頭の中で「カチン」という音が鳴った。
はっきり言おう。世代は関係ない。50代だって、60代だって、想像もつかないことをする人はたくさんいる。
このキャスターに限った話じゃないけれど、何かにつけて「世代」でくくろうとする人は多い。こういう、ものごとを一つの概念や価値観でくくることを「一般化」という。
ボクは、人を世代でくくるのが好きじゃない。
いや、世代でくくるのが有効なシーンもある。たとえば、ボクのような40代は、若いころに携帯電話がなかった。今の若い世代と比べたら、当然だけど行動が違うはず。時代的な文化や思考、行動の背景を考察するのに世代でくくるのは有効だ。
だけど、「世代ですかねぇ」と一般化するのはちょっと違うと思っている。なんとなく「上から目線」的なものや、ちょっとバカにする感じ、「自分たちはそうじゃない」的なものが含まれているような印象を受ける。
年齢が上の世代の人が下の世代の人を指す場合だけじゃない。年齢が下の世代の人が上の世代の人のことを「おっさん」と一般化するのも同じことだ。
一般化するといろんな理由をつけやすい。だから、人は一般化するのかもしれない。だけど、一般化されたほうは意外と傷つく。また、一般化してものごとを見るようになると、個々のよさや特徴に目が向きにくくなる。それは、言い換えれば「頭の固さ」でもある。
どんな世代にもすばらしい人はたくさんいるし、年齢の上下関係なく「この人はすごいな」という人もたくさんいる。
だからボクは、人を世代でくくるのが好きじゃないのだ。
※普段は「です・ます」調で書いているのですが、「だ・である」調で書いてみました。慣れないですね。