なぜあの人は「ウソ」を見抜けるようになったのか
しごとのみらいの竹内義晴です。
行政で働いている知人がいます。生活保護の申請を担当しているそうです。
生活保護は「生活に困っている人を保護し、最低限の生活を保障するとともに、自立を促す制度」です。
もちろん、生活に困っている人を保護するためにとても大切な制度ですが、中には不届き者がいて、本当は生活に困っていないのに困っているふりをして、生活保護の受給を申請しにくる人もいるのだそうです。そういえば、以前、芸能人の生活保護の不正受給が問題になったことがありましたね。
不届き者だと思わしく人が来たとき、以前の知人なら、その対応に困っていたのだそうです。
しかし、今では「少し会話をすれば不届き者か否かが大体わかる」と言います。また、知人は不届き者を手際行くお引き取りいただくことができるので、周りの同僚からも一目置かれるようになったそうです。
なぜ知人は「少し会話をすれば不届き者か否かが大体わかる」ようになったでしょうか。
なぜなら、知人は「五感によるコミュニケーションを学んだ」からです。
私たちが抱くコミュニケーションのイメージは会話……つまり、「言語による情報交換」です。もちろん、言語による情報交換はとても大切です。
それに加えて、もう1つ、私たちは知らず知らずのうちに、言葉以外でも情報のやりとりをしています。それは、顔の表情や声のトーン・リズム、身振り手振りなどの非言語による情報の交換です。
生活保護の不正受給者がそうであるように、人は言葉(言語)で情報交換するとき、真意とは異なるやりとりをすることがあります(言い方を変えれば、言葉をウソをつけます)。
一方、顔の表情や声のトーン・リズム、身振り手振りなどの非言語による情報交換は、知らず知らずのうちにやっていることが多いので、真意である場合がほとんどです(顔の表情や声のトーンは意識できるかもしれませんが、顔色をコントロールすることはまず不可能です。
つまり知人は、コミュニケーションの中で非言語情報をよく観察するようになったので、「少し会話をすれば相手の真意がわかる」ようになったわけです。
もっとも、「人のウソを暴く」能力は、多くの人にとってあまり必要ないコミュニケーション能力かもしれません。
しかし、「相手との信頼関係を築く」という視点に立ったとき、この「非言語のコミュニケーション」を活かすことはできないでしょうか。
たとえば、体調が悪そうな顔色をしている人は、言葉では「大丈夫」と言っていても、多くの場合大丈夫ではありません。そのような同僚が職場にいたら、「今日は無理しないで早く帰ったら?」と声を掛けることができたら、今までより分かり合えるかもしれません。
たとえば、不安そうな様子で窓口に訪れたお客さまを前にしたとき、マニュアル通りに笑顔で、大きな声で「いらっしゃいませ、○○へようこそ!」と声を掛けるのも応対としてはすばらしいのかもしれませんが、声のトーンを少し抑えて「いかがされましたか?何が、できることがございましたら何なりとおっしゃってください」という言葉を付け加えることができたら、お客さまと心の心の架け橋がかかるかもしれません。
「コミュニケーションには、言語に加えて非言語があります」・・・というのは「当たり前」って感じがしなくもありませんが、その「当たり前」を大切にすること信頼関係は大きく変わってくるので、コミュニケーションっておもしろいなぁと思っています。