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「一流の大学」「いい会社」って何だろう?―受験・就職が思い通りにいかなかったキミたちへ

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こんにちは、しごとのみらいの竹内義晴です。

この間、受験が思うような成果ではなかったという学生さんから相談を受けました。その内容をここに乗せるわけにはいかないので控えますけど、おじさんは正直……とっても切ない気持ちになりました。

何が切なかったのかというと……なんていうかな。周りの大人たちからの情報が、いろんな枠や思い込み、制限を作るきっかけになっていて、本当は悩みや挫折感を抱く必要がないところで悩んでいることに切なさを感じたのです。

そして、そんな枠を作っている(かもしれない)大人の一人として「ごめんね」と思ったし、同時に、「キミたちにはまだまだあふれんばかりのいろんな可能性があるんだぜ」ということを伝えたいと思いました。

ここからの話は、少しばかり耳の痛い話もします。だから、嫌な気分になりたくなければ、ここから先は読まないほうがいい。今すぐブラウザを閉じてください。

キミたちは、周りの大人から、「一流の大学に入れ」「いい会社に入れ」と言われてきたかもしれません。そうすれば「将来安泰だぞ」と。「それなりの将来が約束されるぞ」と。確かにその一面もあるでしょう。事実としてあると思いますよ。

そう思ってきたキミたちにとって、受験や就職がうまくいかなかったことは落胆に値すると思います。それを目標に数年間――いや、ひょっとしたら子供のころから――がんばってきたのだから。

だけどね、キミたちには、まだまだいろんな可能性があります。と言うより、「一流の大学に入る」「いい会社に入る」ということよりもはるかに大きな可能性がね。

ところで、「一流の大学」「いい会社」って何だろう?そこには、何があるの?

「一流」という評価基準は、ランキングされた上位の大学や企業を指すのも一つであることは間違いないだろう。だからといって、それだけが「一流」ということにはなるの?もちろん、学歴が高くて大きな会社で一流の人もたくさんいるけれど、小さな会社で一流の仕事をしている人もたくさんいる(逆に、学歴が高くて大きな会社で働いているけれど、そうでない人もたくさんいる)。

「一流の大学」とか「いい企業」に入ることも、キミたちにとっては大切なことだったかもしれない。それよりも、仕事で一流になることのほうがおじさんは大切だと思っている。そんなに難しいことじゃない。それは、周りの人から「ありがとう」「○○さんのおかげです」と、仕事を通じて言われることだから。

実は――もう薄々気づき始めているかもしれないけれど――周りの人から信頼されているほうが、大きな会社にいるよりも安心感があるって、知ってる?だって、困ったときは周りの人が助けてくれるからね。

また、そういう仕事をしていると、キミたちのいう「いい会社」と対等に仕事をするときだってある。

あとね。ここからはキミたちに耳の痛い話しをする。だけど、耳の穴をかっぽじってよく聞いてほしい。

ひょっとしたら、キミたちは、「一流の大学の受験に失敗した」「いい会社に入れなかった」と落胆しているかもしれない。そこで、「仕方ないからその次の、そこそこの大学に行こう」「そこそこの会社に入れればいいや」と思っているかもしれない。だけどね、「そこそこ」というのは失礼だぜ。どこの大学だって、企業だって、創業者はいろんな想いがあって創ったんだ。業を起こすというのは、キミたちが思っているほど簡単じゃない。その人たちに「そこそこ」なんていうレッテルを張ってはいけない。

そして、最も問題なのは、その「そこそこ」だと思っているのところにキミたちが入ろうとしていることだ。それは、何を意味しているのかというと……「オレ(わたし)はそこそこの人です」ということを、自分で証明しようとしていることになるんだよ。キミたちは「そこそこの人」なのか?今まで一流を目指して一生懸命頑張ってきたんじゃないのか?まぁ、ボクのことではないからそれでもかまわないけれど。

そもそも、そういう気持ちだと、逆に会社のほうから「いらない」と言われないかい?

キミたちはまだ、ふわっふわで柔らかいスイーツの生地だ。どんなスイーツにも形を変えることができる。今までは親や、先生に教えてもらったことや、ネットに書いてあった「一流の大学」「いい会社」という、誰かに作られた「型」に、その生地を流し込もうとしてきた。もちろん、それも一つの働き方だし、生き方だ。

だけど、その生地は柔軟だから、どんな形にも変われるし、どんなスイーツにもなることができる。大切なのは、「どんな型に入るか」ではなく、自分の意思で形作ることだ。

大切なので繰り返す。キミたちはふわっふわで柔らかいスイーツの生地だ。どんなスイーツにも形を変えることができる。それだけは、忘れないでほしい。

でも、「自分の意思で形づくる」と言っても、自分が一体なにをしたいのか、何をやりたいのかが分からないかもしれない。おじさんもそうだったから、その気持ちはよく分かる。それならば、今はどうあれ、「自分の将来は、自分の意思でつくる」と決めるだけでいい。それが、会社に入って仕事をすることならそれでいいし、自分で何かを始めることでももちろんいい。そして、まずは目の前にあることを一生懸命やることだ。そうすれば、自然に情報収集アンテナが立つ。「あっ、これっておもしろそうだな」「あっ、これは問題だから何とかしたいな」と思うようになる。だから、今はそんなに心配しなくていい。

キミたちはこれから社会に出て、たくさんの成功体験を積む。それと同時に、たくさんの失敗もするだろう。でも、いずれ、その失敗(だと思っている)体験の中に、本当に大切なものがたくさん眠っているということに気づくことになると思う。今はまだ、気持ちが癒えていないかもしれないけれど、キミたちが生まれてから今までの中で、人生をかけた受験や就職活動という大きなチャレンジも、一流の体験に変わることだけは間違いない。

そして、近い将来きっとこう思うだろう。

「あの体験があったおかげで、今があるんだな」とね。意味のないことなど、何もないのだから。

あなたは、周りから信頼される人になる。なぜなら、痛みを知っている人ほど人の気持ちが分かるようになるから。

キミたちは、何度でもチャレンジできる。なぜなら、それを決めるのは自分自身なのだから。

とはいえ、落胆したくなる気持ちも分かります。あまり急いで、「前に進もう」なんて思わなくてください。でも、すぐに、「さて、そろそろ動かなきゃな」と思う日がくるでしょう。その時が来たら、前に進んでください。

おじさんのウザい話を聞いてくれてありがとう。

■子供たちの周りにいる大人のみなさんへ。

一流の学校に入れたい、いい会社に入ってほしい。大きな会社に入れば将来安心……親なら誰だって、子供には不幸になってほしくないし、安心できる幸せな生活を送ってほしいと思います。それが親心だと思います。そうじゃありませんか?

高みを目指すのもすばらしいことです。けれども、子供たちには、たった一つの道が人生ではないこと、いろんな選択肢や可能性があるということも合わせて、教えてあげてください。

■学生の就職に関するサポートをされているみなさんへ。

みなさんは学生を前に、「○○が有利だ」という情報を提供されていることでしょう。たとえば、「就職で重要視されるのは、大学でのボランティアやサークルや、バイトでの経験だ」と。確かに、そういう一面もあるのかもしれません。

しかし、そのような「○○が有利だ」という情報によって、素直な学生たちはそれを信じます。そして、「就職のためにボランティアをする、サークルに入る、バイトをする」という、やや本末転倒なことを始めます。本来、ボランティアは社会をよりよくするために、サークルは仲間や新しい自分と出会うために、バイトは働く喜びやお金の尊さを学ぶためにあるような気がします。

本当に大切なことも合わせて、教えてあげてください。

Comment(3)

コメント

ちょっと意見を

一度の挫折に対して、若い人が悲観的になりすぎるのは良くない!ってのは賛成ですが
ちょっと綺麗事過ぎないでしょうか?

>本当は悩みや挫折感を抱く必要がないところで悩んでいることに切なさを感じたのです。

いやいや、勝負に負けて挫折感を抱くことは否定できませんよ。むしろ必要です。それをバネに戦わないと。
一流大学(とりあえず国内なら旧帝大にしときましょう)に入って一流大手企業(国内ならcore30ぐらいにしときましょう)を目指すのも良いでしょう。
一流企業でも将来安泰じゃないのは間違いないですが、中小企業よりはましだし待遇面も良いのは否定できません。

少なくとも今の日本では世代内格差は広がる一方なのは言うまでもありませんよね?
そういった状況で、失敗を肯定し過ぎるのは無責任かと。
可能性は一秒一秒毎に目減りしていきます。

失敗してしまった若者に対して言うべきは、「失敗してもいいんだよ」ではなくて、
「もう後は無い。死ぬ気で戦え」ってことじゃないかと思うんですよね。

生きることは戦いなのです。

ちょっと意見をさん、コメントありがとうございます。
生きることは戦いなんですね。
確かにそういう一面もあるかもしれませんね。大変ですね。
私にとって生きることは楽しみです。

なおすけ

失敗はどんどんしないと!後はないってどーゆーこと?失敗から学ぶんだよ?人間は、後はないって、、

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