とりあえず楽しきゃいいじゃん!―「ビジョンや目的」に縛られるな
「なぜ山に登るのか?そこに山があるからだ」
とは、登山家のジョージ・マロリーの言葉と言われていますが、いろんな意味を含んだ言葉ですね。「山は楽しいから登るんだ。そこに理由などないよ」という意味もあるのかもしれません。
山に登る目的は何なのか……あえて理由を挙げればあげられるのでしょうけれど、登ること自体に楽しみを抱いている人にとっては、その目的を考えることはさほど重要ではないのかもしれません。
最近いろんなところで、「何かをするためにはビジョンや目的を明確にして、それを共有することが大事だ」ということを見聞きします。私も、この意見には大賛成です。
ビジョンや目的は、人の意識を1つに集めます。明るい未来や問題が解決した姿を語り合うのは楽しいし、モチベーションも上がります。何か問題が起きたとき、目的に立ち戻ることで本当に必要な解決策を見出すこともできます。だから、最初にビジョンや目的を描き、そこからブレイクダウンしていくのが大事だと、ビジネスの教科書には書いてあります。
だからといって、何でもかんでも「まず、ビジョンや目的ありき」でないといけないのかなぁ。「ビジョンや目的は後で考えることにして、まずは、楽しきゃいいじゃん。とりあえずやってみようよ」でも、時にはいいんじゃないかなぁ。
「みんなの力で明日の日本を変えていこう!」というような、ビジョンや将来の夢を話している間は楽しいです。けれど、ビジョンや目的の多くは抽象的なので、具体的な行動につながりにくい一面もあります。
酒の肴ならそれでもいいのかもしれないけれど、それだと何も変わらないじゃないですか。
それならば、ビジョンや目的はとりあえず脇に置いておいて、まず、動いて小さな形にしてみる。多くの物事は一人じゃ限りがあるから、いずれ多くの人に知ってもらう必要が出てきます。周りの人を巻き込んだり、説得したりするためには「思い」を伝えなければならない。そこでビジョンや目的を考えたっていいと思うんです。
私たちは時々、別に明確なビジョンや目的があるわけではないけれど、「楽しそうだから」「面白そうだから」「これって、問題なんじゃないか」「このままじゃまずいんじゃないか」というような、何か、胸の奥がチクチクするような感覚を抱くことがあります。このような「なんとなく、そう思う」っていう情報も、結構大事なんじゃないかなぁ。また、このような感覚を抱いたときのエネルギーは大きいから、次の行動を生んでくれます。
逆に、このようなシーンで「いや、それじゃだめだよ。ビジョンや目的がないと……」と言われるとなんとなく出鼻をくじかれた感じがします。「なんか、メンドーくさいなー」という気持ちも……。
ビジョンや目的はとりあえず脇に置いておいて、チクチクする方向に動いてみる。
最近、「まず、ビジョンや目的がないと……」という言葉に息苦しさを感じることが続いたので、今の正直な気持ちを書いてみました。
以前書いたこちらのエントリーも参考にしてみてください。