父親がいなくなって
今日、父が入院しました。
明日、肩の手術があります。入院期間は2ヶ月ほど。
整形的な手術なので、それほど心配はしていませんが
家族が一人、留守にするというのは以外と寂しいものですね。
私はコミュニケーションのトレーナーをしていますが
父親に対しては、みなさんにお伝えできるようなことはありません。
日常、それほど話しませんし、むしろ、「うるさいなぁ」という感じです(汗)。
このような、非日常こそ、
何かしらコミュニケーションを図るべきなのかもしれません。
けれども、非日常でも、やっぱり、接し方は日常です。
うちは、米を作っています。
今まで、すべて父親が面倒を見ていたので
田んぼの管理ができないのは我が家始まって以来のことです。
私は、将来父親にならって田んぼで米を作ろうと思っているのですが
まだ、そのやり方がちっともわかりません。
今回を機会に、いろいろと教わろうと思っていたのですが
一度、畔の草刈をして、
一度、穂肥(ほごえ:穂が出る前に肥料を与えること)をして、
一度、水を見に行ったっきり。
結局、何も教わることができませんでした。
忙しいから?いいえ、そんなことはありません。
時間はありました。
父親が声をかけてくれないから?
それは、あります。
「○○やるよ」って声をかけると、
「もうやったよ」って、そんな日もあったっけ。
けれども、なんだかんだいっても
ボクのやる気の問題なのでしょうね。きっと。
水の管理などは、母親が教わったそうなので
父親がいないうちに、こっそり教われればいいなと思っています。
縁起でもない話なのですが
人は、いつか死にます。
近い将来、きっと、父親と離れる日が来るでしょう。
たぶん、そのときも、今のような
「もっと、いろんなことを聞いておけば良かった」
と思っていることが、容易に想像できます。
だから
「今のうちに、いろいろと聞いておきたいと思います」
というのは、言葉にするのは簡単ですが
現実は、たぶん無理なことも、よく分かっています。
近い人ほど、コミュニケーションは難しいですね。
コミュニケーショントレーナーとしての、最終的な課題かなと思っています。
そうは言っても、元気になって帰ってきたら、
きっと、今までのように口げんかが絶えないのでしょう。
「お父さんを大切にしなさいよ」
そんなお叱りを受けそうです。
でも、間違いなく言えるのは、父親を超えることなど、できないということ。
ボクと父親の関係はそんな感じですが
退院したら、一緒に酒でも飲みに行こうと思っています。