「苦境を乗り越える「感謝力」の磨き方」に寄せられたコメントへの返答
という記事に、mixiやホームページからの問い合わせなど、各所でたくさんのコメントをいただきました。ありがとうございます。
いくつかのコメントについて、返答させていただこうかと思います。
■「感謝力」という言葉
今回は、タイトルや記事中に「感謝力」という言葉を使いました。
「最近、やたらと『力』という文字をつけるのが流行っているの?」
「記事はいいのに、タイトルが……」
というコメントをいただきました。
「感謝力」という言葉を使う前には「感謝の心」という言葉を使っていましたが、「心」という言葉の響きに、なかなか変えられないような印象があるなと思いました。
感謝っていうのは体質みたいなもので、習慣になると自然と「うれしい、ありがたい」と思えるようになる経験をしてきました。言い方を変えると後から身につけることができます。そこで、「上げられる」という意味を言葉の中に持たせたかった……それに合った言葉は何かと考えたら「力」という言葉が浮かんできたので、「感謝力」として使ってみました。
■経営層やリーダー層が「そう思って(意図的に)」言うのはどうなの?
これは、とてもいい視点ですね。恐らく、「メンバーの意図的な操作(コントロール)になるのではないか?」というご指摘かと思います。
記事の中で、
社員、メンバーの感謝力をより高める別の方法もある。それは経営層やリーダーであるあなた自身が率先して、メンバーに感謝の気持ちを伝えることだ。「うちの社員でいてくれてありがとう」「君がいてくれるおかけで、本当に助かるよ」など、普段心の中にある気持ちを、言葉に出して伝えよう。
と書きました。
確かに、ご指摘の通りかと思います。使う側が「思う通りに動かしてやろう」と思って言葉にするのと、「ありがたいな」と思って言葉にするのでは大きな違いがありますよね。
言い換えます。
操作術のような「テクニック」として使うか、純粋な気持ちを伝えるかの違いですね。「コントロールしよう」と思って使っている人の思い通りにはなりたくないと誰しもが思いますよね。
これまでの経験では、テクニックを使うことで一時は上手くいくかもしれませんが、そればかりでは次第にうまく行かなくなります。どうやら、言葉以外の無意識の情報として、思いも相手に伝わってしまうようです。
結果的に、上手く行かないことで悩むのは「テクニックとして使った側」なのです。
一方で、かつてのわたしがそうだったように、最初は心から「うちのメンバーでいてくれてありがたい」と思えないかもしれません。けれども、言葉をかけ、相手の笑顔やうれしい表情を目の当たりにすることで、「自分のかけた言葉で相手がうれしがってくれた。うれしい。」と感じることに気づくでしょう。これ自体が、言葉をかける側の感謝の気持ちを高めることにつながっていくと思います。それを続けることで、本当に心から「うちのメンバーでいてくれてありがたい」と思うようになりました。わたしは、そういう経験をしてきました。
■その他
みなさんの中には、「感謝の言葉をかけたからといって、相手がうれしいと思うとは限らない」「いちいち感謝するのなんて、面倒くさい」「何をいまさら・・・」などのご意見もおありかと思います。立場が違えば考えも違いますし、それは、それでいいのではないかと思います。もちろん、今回お話したことだけでうまくいくわけではないですからね。
けれども、もしあなたが仲間をまとめる立場になって、「周りの仲間が動いてくれない」「どうしたらいいのか全然わからない」という状況になった時、試行錯誤の一つのアイテムとして思い出していただければそれでかまいません。
■最後に
コメントの中で、「感謝って大事だよね。感謝しなきゃね」というコメントもありました。不思議に思われるかもしれませんが、わたし的には、この記事を通じて「感謝しなさい」「感謝が大事だ」と伝えたいわけではありませんでした。
なぜなら、本文には、
本当の感謝とは、「感謝しなければいけない」と頭で考えている状態ではなく、うれしい、ありがたいという感情が自然に内面から芽生えてくる状態を指す。感謝とは、気持ちを体で「感じる」ことなのだ。
と書きましたが、「感謝しなきゃ」は、頭で考える状態を作ってしまうので。もちろん、そう思ってしまうのは仕方のないことなんですが、頭で「考える」ことよりもむしろ、とりあえず言葉を発してみて欲しい。そして、仲間のうれしそうな表情を見て、あなた自身の中に「うれしい、ありがたい」が生じることを感じて欲しい。そうすることで、仲間の感謝力も上がり、あなたの感謝力も上がることを体感して欲しい・・・そう願っています。
最初に言葉を発するのは勇気が要りますよね?その気持ち、よく分かります。それでも、「誰かが何とかしてくれるだろう」と待つのではなく、あなたから「やってみよう」と行動しようとするその姿に、敬意を表します。