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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

「おかしな日本語」と向き合うのもグローバル化

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各所からお叱りを受けるのを覚悟のエントリーです。楽天のKobo関連求人の「日本語での表記」がルー語状態で意味がわからんwwwという流れの話が一部で盛り上がっている中、実は嘗て米国資本の企業に18年勤めた私としては何となく違和感は感じつつも言わんとするところは判るよねという感じで特に驚くことも無く受け取っていました。実はこの話、時々あちらこちらで話題になる「外資系あるある」に必ず出てくるカタカナを日本語の接続詞で繋いだ文章そのままなので、あまり違和感が無かったというのが正直な話です。あ、これは勿論人によって違うので、外資系に勤務した事があるからどうとか、その経験が無いからどうとかいう話ではありませんので念のため。

原文は明らかに英語であるだろうと想像できました。言い回し自体も(大きな声では言えないですが)英語での求人情報を見た事があれば全然違和感が無いんじゃないかとは思うんですね。正にそんな言い回し。結局のところどのような意図であの文字面にしたのかは良くわかりません。最初から英語で出せば良いのに何で日本語にしたのかなぁとか、日本語として正しく伝えようとすれば多分違う書き方になっていたよねとは思うんです。とはいえこれを日本語を母国語とする方が書いたとすると「どうしちゃったの?」という話になるんですが、まぁそれは本論とは違うので於いといて・・・ でも求めているのはそこで「これじゃ駄目じゃん」と引っかかってしまう人ではないだろうし、そんなのを気にせずに内容の話にすっと入ってこれる人じゃないと仮に採用されても後から色々と大変なことになるのかもなぁとは思ったりします。いや、だからとって、訳のわからん日本語での求人広告自体を肯定するものではありませんが…

 

本国のチームと時折コミュニケーションを行い、グローバルなベストプラクティスを実践していただくグローバルなオポチュニティ

言わんとすることは(少なくともワタシには)非常に良くわかるのですが、まったくもって日本語じゃないですよね(笑) もちろん日本語で表記していますが、言語としての日本語じゃないのは確かにその通りです。たとえば求人案件自体をOpportunity(オポチュニティ)と呼びますが、これは学校の英語の授業では教えないので何言ってるんだよという話 になるのは良くわかります。Best Practice(ベストプラクティス=(例えば)最善の施策)も学校で触れる種類の言い回しじゃないとは思います。

ただ最近良く言われる「正しい英語を話せる必要はなくて、相手とコミュニケーションできる英語が話せる事が大事である」系の話を裏返して考えると、ここで正しい日本語に拘ってどうするよというのが炙りだされて来ます。だってこのケースでも仕事の相手は日本語が通じない人である可能性がある事を最初から謳っていますし、その人とは共通言語が英語であれば英語、フランス語であればフランス語、中国語であれば中国語で話をしないと駄目だったりするわけですが、大抵の場合、お互いに訛りがあろうがなんだろうがそれはそれとして受け入れて(いや、正確にはこいつらの英語訛りがきつくて全然わかんねーぞこんちくしょーとかお互いに考えながら)物事が進むわけで、極論すると共通の言語というのは意思疎通を図るための道具の一つにしか過ぎないわけです。

もっとも日本語としておかしな文章をこうやって掲載したこと自体良いことだとは思いません。主たる言語として日本語を使う人相手にこれは無いだろうと思う部分はやっぱりあります。でも事実こういう入り口から入り込める世界は色々とあるわけで、そこに拘っても仕方ないし、事実それが所謂グローバルなうんたらかんたらのひとつの形である事は間違いないとは思うんです。

 

日本語を母国語としない人に完璧な日本語を求めてはいけない

もちろん今の日本の中、あるいは海外においても日本語を使える人はそれなりに居るわけですが、彼らが日本で生まれ育った人と同じレベルでの日本語を喋ることを求めるケースというのは、それが例えば仕事で絶対に必要であるとか特殊なケースを除いて皆無だと思うんです。旅行で日本に来た人が苦労して日本語で道を聞くのは自分達が海外で幾ら(例えば)英語で喋っても相手に理解してもらえなくて、それでも一生懸命理解しようとしてくれて、最後に「駄目だこりゃ」と肩をすくめてどっかに行ってしまう背中を見送りながら「もう少しくらいは喋れるようになろう」と思うこともあれど。

もちろん仕事上英語もしくは他の言語が必要とされる場合にはそれなりに喋れないと困るわけですが、それでも結局のところ完璧な英語を喋る必要が無いという話と同列で完璧な日本語を相手に求める必要は無いというのをまず前提としようよと思うんです。

とはいえ、日本で生まれ育った上で日本語を「母国語」としている立場であれば(自分自身の事は棚に上げつつも)自分の言語としての日本語はそれなりにキチンとしているべきだとは思います。これは多分他の国であっても自分の国の言語、民族の言語、あるいは地域の言語として同じだとは思います。ただ、言語というものは時代の流れの中で変化するものだとは思っていて、先々どうなるんだろうとい思うことはあります。そして、今後の変化の要因のひとつになるであろう事象として、日本語が「母国語」ではない人のちょっと変な日本語を受け入れるという流れがあるかもしれません。でもって、これもグローバル化のひとつの考え方じゃないかという気がしたりしています。ただし勿論ひとつの言語体系としての日本語がその形をもって今後も永きに亘って存続することは当然願うものでありますが。

 

・・・と、ここまで書いてふと気が付くと坂本さん楽天?Koboの求人が「グローバルなオポチュニティです。」なその理由というエントリーを書かれているのに気が付きました。文脈的には同じようなことを考えていらっしゃるように見えます。実際、外に出るだけがグローバル化じゃないと強く思います。。

Comment(2)

コメント

石松

石松と申します。
私はグローバリゼーションとはローカリゼーションの対比語ではなくて、「グローバル」とは「ローカル」の集まりだと思っています。
その「ローカル」を疎かにしてグローバリゼーションは無いと思っています。
私の会社はアメリカのグローバルな会社ですけど、その趣旨で全世界に広げています。

グローバリゼーションのために色んな「ローカル」を切り捨てるのもあるでしょう。
またMS Wordみたいに色んな言語の特徴を全て組み込んだグローバリゼーションも、巨大になるけど、あるでしょう。
でもローカリゼーションを疎かにしたグローバリゼーションは見捨てられます。

この件は日本という国・言語を軽く見ています。
ましてや今はKoboの実質の本社はまだカナダだとしても大本社は楽天ですから楽天の目に触れずにこの求人広告が出たとも思いません。
Koboを欧米だけでなくアジアにも広めたいのならその拠点の日本を疎かにしてはその先は見えています。
このアドの意味が分かる分からない以前でもう日本語ではありません。

まあ変な日本語を書いてしゃべる、一応国籍は日本人でもあるのですけど、日本人モドキの私が言うのも恥ずかしのですけど。
(ここでの私の言いたいことが伝わるといいのですけど…)

私は楽天の社内の英語化には反対ではありません。
私「日本人」として賛成はしませんけど今の日本での会社の試みとしては面白く、ある意味で期待して、見ています。
だからこそ、少しこの件は悲しいです。

いわなが

石松さん、コメントありがとうございます。
 
ローカルの集合体がグローバルというニュアンスについてはよくわかります。その意味では本社機能がどの視点に立つかは別として、たとえばかつてあった「多国籍企業」という言い方はひとつの姿をうまく表現した言葉だなと思うことがあります。
 
ということを踏まえつつ、Koboは楽天の子会社ですが独立した事業会社であること、このレベルの人材募集広告に親会社が介入するとは思えないことなどから、一部で騒がれいるように楽天本社駄目じゃんという文脈で捉えないほうががよいんじゃないかと個人的には思っています。つまり今回の話っていうのは日本の会社のグローバル化云々ではなくて、外から日本にやってくる何かに対しての視線と姿勢をどうするかというのが主旨です。
 
ちなみに社内の英語化の話は別の文脈がありそうなのですが、いずれにせよ必要であればすれば良いという程度の話じゃないかな?と思っています。

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