カレログを横目に見ながら思うこと
何かしらの無線通信端末を通じて何かしらを追跡したりするシステムやサービス、そしてそのための無線通信端末自体はかなり昔からあります。専用の機材、いわゆる組み込み系の世界で「モノ」を追いかけたり何かしらの状況を適宜必要な場所に送信するような広義のテレメタリングと呼んで良いモノもあれば、専用の端末や携帯電話自体を利用し子供や高齢者の方を追跡の主な対象として想定されているモノもあります。それ自体は別に目新しい物ではありません。ただ、同じ道具や仕組みの使われ方次第で色んな見え方がするものだよねと素直に思うのが、㋇29日に発表されたカレログというサービスに関する関係各所の議論。
因みにそれ自体の良し悪しとかの話をしたいという話ではありませんけれど。
企業活動などの一環で使われるモノと個人を対象にしたモノの違い
企業活動の中で無線端末機器を使った何かしらの追跡サービスやシステムは、たとえインフラとしてパブリックなネットワークを利用していても本質的にはあくまでも閉じた世界でデータが利用されるわけですし、それ以外の用途には殆ど意味の無いデータしか拾えないケースが多く見られます。もちろん何かしら明確な意図があってパブリックネットワーク・・・一応通信事業者のサービスネットワーク内の話ではなくインターネットワーク環境を指すものとしますが、そこで何かしらの仕組みをつかってデータをトレースし、何かしらの目的のためにそれを使うような事を画策する組織なり何なりが存在しないとは言いません。でも、基本的には他者にとってあまり意味の無いデータであることが多いんじゃないかと勝手に思っています。
それに対して個人を対象とし、人の動きを何かしらトレースするシステムやサービスの場合、勿論ネットワーク上でトレースされることによる何らかのリスクというのは物理的に存在するとは思いますが、それよりも収集され通知されるデータに対してどのように考えるか、そもそもそのサービス主体の氏素性やそのサービスを企画した意図、そして根っこにある行動原理と言うものについて注意してみても良い場合があるような気がしています。これは、話題のカレログという1つのサービスを指して言うのではなく、あくまでも一般論としてですけれど。
たとえば警備会社が提供するサービスの一環として子供や高齢者の方を主な対象とした追跡通知サービスを提供しているのはとても理解しやすい姿です。あるいは、厳密には無線端末では無いにしろ鉄道会社が特定のICカードが改札を通ったときに保護者なり誰なりの事前登録した人にメールで通知するサービスも比較的理解しやすい種類のモノだとは思います。
もちろん、そこで収集され通知されるデータが適切に管理され、本来の目的以外に使われる事は無いという約款がそこにあり、更にはそれをな納得してサービス利用を開始するというハードルがあるわけですから利用者側にも利用責任があるという種類の物ではありますが、何れにせよ、すくなくとも私にとっては理解しやすい種類のものです。あくまでも私にとって、という話ですが。
誰が何を担保するのか
正直話で言うと、自分が既によく利用している位置情報サービスや「居場所にチェックインする」系サービスの場合、その裏側で収集されている私自身のプロファイルや行動情報がどう利用されるのかというのがわからない部分があります。人間誰しもわからないモノに対しては不安になるか、あるいはそれについて考える事をやめてしまって忘れてしまうかという行動を取る事があるんじゃないかと思うのですが、私の場合、特に「居場所にチェックインする」系のサービスの場合にはそれについて考える事をやめてしまっているのかもしれません。
因みに居場所について例えば「居場所にチェックインする」系のサービスでの操作しかり、TwitterやFacebookなどで自分の居場所や行動を伝えてしまう事しかり、危険性を理解していると豪語しつつも自分の行動を公開しているわけで、しかもそのリスクというのを厳密に考えるのをやめてしまっているようで・・・ そう考えてしまうと特定のシステムやサービスを指して「それは危険だ」といい始めると全然説得力が無いんですが、でも、時々そういうコトは考えるべきだとは思っています。
このアタリの話は、たとえば自分の以前のブログのエントリーソーシャルな何かが実現する完全透明社会って、別の言い方をすると完全相互監視社会みたいなものにも思えるにあるようなことを考えるべきだと思っているのですが、基本的に自分の事になると評価が甘くなる私の事、どうにも厳しく律する事が出来ません。ある意味情け無いもんです。
他人を監視することによって生じる責任ってどこまで考えるべきなんだろうか
因みに自分が自分の情報を自らの責任において「晒す」のであれば、あくまでもそれは自分の問題であるわけです。百歩譲って自分の子供や高齢の親御さんなど家族であれば、一定の保護責任なども絡んで当事者として受容できる責任として理解できる種類のモノじゃないかと思うんですね。
しかしながら、それに対して例え親しい人であっても基本的に他人である誰かの情報をトレースするのはどうよという何となく同義的な部分、あ、もちろんトレースしたいという気持ちを持つ事があるというコトには十分理解はいたしますが、やっぱりどうなのかな?という部分と、自分の行動によって収集されたデータが本当にどのように利用されるのかを自分の責任において何か担保が取れるのか、とか、まぁ考えすぎなのかもしれませんが、なんだかそんな事を考えちゃったりするんです。
もちろん、それが警備会社や鉄道会社なら大丈夫なのかとかってのは本来同じレベルで心配するべきなのですが、そこはやっぱり事業主体がどうとか目的がどうとか、そういったところとの天秤になると思うんですね。
自分が負える責任と、負うべきでないかもしれない責任
何れにせよ、自分を含めた誰かの動静を何らかのシステムやサービスに提供する事自体のどこかには大なり小なり何かしらのリスクがあるわけです。公開情報と言える種類のモノであれば別ですが、純粋に個人に属する情報である場合それらのシステムやサービスをどういう目的で利用するのか、その提供主体は何を責任として担保しているのか、情報の扱われ方については何をどう考えているのかなどなど。因みにその主体が海外籍の場合、実は日本国内法の及ばないもっと面倒くさい事が巻きつく可能性もあるのですが、まぁそれはそれ。
もちろんそれぞれが約款を持っている話でしょうからそれなりに担保された責任はあるとは思うのですが、巷の議論を横目で見つつ、自分が使ってるシステムやサービスの利用約款をもう一度見直してみようかと思った次第です。