スペースシャトル計画の終了は転職活動の始まり
スペシャリストとは、ある特定の分野なり技術なりのスペシャリストであって、その結集体である組織においては居場所が基本的に決まるという雇用形態があります。日本の場合純粋なスペシャリストという立場での雇用というのはそれほど一般的ではありませんし、途中で職種が変わっても雇用関係自体は継続するケースは多く見られます。
ただ、そうじゃない世界は当然あるわけです。そしてその雇用の要件自体に期限が設定されている場合はどうなるのかということですが…
スペースシャトル計画の関係者は基本的にスペースシャトル計画に関するスペシャリストであるという位置づけ
もちろん全員が全員そういう話ではありません。ただ、計画が終了する以上、その計画自体に直接間接に関わってきた人の状況は大きく変化します。その後の計画に向けて雇用が継続する人もいるでしょうが、NASA自体が終了する技術や設備、あるいは組織に関与している人の雇用を継続できる組織ではありません。
もちろんNASA自身は今後の宇宙開発計画を幾つか持ち、幾つもの計画がスペースシャトル計画とは別に幾つも進行し、あるいは今後実現されてゆきます。それぞれの計画においては相互依存せずに単独で進行できる体制が大抵の場合とられていますから、単純にスペースシャトル計画で働いていた人をそちらに異動させて・・・といった事が出来る状況ではありません。
そして転職支援
たとえばCNNなどで報道される内容をみると、計画終了にともなって2008年から累積で一声9500人が削減対象となるという話。
もちろん雇用に対する考え方が日本の一般的な理解とは異なる米国での出来事ですから、それが社会的にどういうコトなのかなどについては単純に脊髄反射反応を起こすべきでは有りません。そこに日本的な価値観を持ち込むことは出来ません。とはいえ、これだけの人間が徐々に雇用の場を失うというのが、たとえばスペースシャトル計画終了の裏側にあるということを知っていて損は無いはずです。
労働力の流動性、そして組織の意味
たとえばこのような動きが労働力の流動性を生むのだという話はあります。実際に閉じた世界で育った技術やスキルが広く展開される切っ掛けになるのは事実です。そして、それは同時に一定の痛みを伴うという事実も併せて理解しておかないといけない。ここは非常に大事な部分です。
ただし、そういう動きを許容できる、あるいはそもそもの前提とする社会の存在が非常に重要になります。これは社会制度や社会全体としてのコンセンサスが必要で、それをそのまま今の日本の社会に持ち込むことは非常に難しい。ソーシャルな何かの世界を中心にして云々などといった議論がされる事も有りますが、軸足がどこかに無い限り生活自体が成立しないわけで、それはそれというスタンスを取る事は別に間違っていないと思うんですね。
そういう議論自体は所謂終身雇用制というものがどうなるの的な話の中でずっと為されて来ていますし、そもそも日本の終身雇用制といわれるものがどういう時代背景を元に成立してきたのかというコトを考えるとそれほど歴史が長くないという事実を冷静に考えると根底がグラグラするわけですが、何れにせよ根底の部分にそういった考え方があり、流動化した労働力を随時吸収できる仕組みが機能していない日本の社会の今後を考える上では現状を他山の石として眺めつつもどういう方向に行くべきなのかをキチンと議論してゆかなくてはいけない話だとは思います。
とまぁ、スペースシャトル計画の終了が雇用問題や社会制度の問題といった難しいところまで色々と発展したりするわけですが、何れにせよスペースシャトル計画は事実上終了で、残るのは後片付け。1つの時代が終わったわけです。そこに直接間接に関与していた人たちは何処に行くのか。そしてちょうどそこに居合わせている私たちは計画自身の成果と同時にそれらのプロジェクトの幕引きをどういう風に眺め、どういう風に評価するのか。
そういうところに考えを巡らすのは決して悪い事じゃないと思います。