オルタナティブ・ブログ > THE SHOW MUST GO ON >

通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

懐かしのメロディは個人の感じ方ひとつなわけで

»

何気にクラシック音楽の好きな私なのですが、繰り返し聞くのはいわゆるバロック音楽の世界。ヨハン・セバスチャン・バッハで言うと亡くなったのが1750年なんで、冷静に考えると360年も前の音楽だったりするわけです。それを冷静に考えると凄いわけですが、好みの問題だしここまでくると完全に「古典」の世界。最初から昔の音楽だという認識があるんで、それ自体にそれほど古さは感じなかったりします。

でも、これは個人の感じ方の問題。たまたま大学時代に大学のオーケストラに入っていたという経歴があるから抵抗が殆ど無いという私の事情かもしれません。でも、もっと新しくても「古さを感じる」モノっていうのは一杯あるわけで

 

昭和40年代に聞いていた戦後間もない頃の曲は最初から「懐かしのメロディ」だった

昭和一桁から二桁初期に生まれた自分の親が若かりし頃に聞いた音楽、ことに流行歌の世界というのは自分が子供の頃には既に「懐メロ」の世界に分類されるものでした。もちろん歌手自体は現役だったりしたわけですが、多くのクラシック音楽と違って詩がそのまま自分の理解できる日本語であるというコトもあって、その時代の背景を元にしたそれぞれの曲は既に「懐メロ」であったわけです。

ただ、自分がある程度大きくなってから自分の歴史の中で触れた曲というのは、いわゆる歌謡曲(J-POPに分類されるものですね)であってもそれほど古さというのは感じない。もちろんそれを最初に耳にした頃の情景が浮かんだりするわけで懐かしさはあるんですが、古いという感覚とはちょっと違うところがあるモノは確かに存在します。

たとえば帰り道に立ち寄る馴染みの飲み屋でカラオケで歌うのはそういう曲が自然と多くなったりするんですが、私の場合だと大体大学入学以降が大半なのですが、冷静に考えると大学を卒業してからですら30年経っている自分の歳を透かして見ると、明らかに今の20代とか30代の人は知らない曲がゴロゴロしていたりします。

若い人がそんな曲を聴いてる感覚って、ひょっとしたら自分のオヤジが車を運転していたときに車内で聞いていたあの曲を聴いていた自分の感覚と近いのかな?

そんな事を少しだけ思ったりします。特に最近なんかの切っ掛けで誰かがカバーしたような曲だと更にそんな感覚になるんじゃないかな?

 

ビートルズやストーンズは明らかに懐メロの世界なのか

正直、たとえばビートルズが来日した1966年は幼稚園の年長さんなので、覚えているわけがありません。また解散したのは1970年で、大阪万国博覧会のアメリカ館やソビエト館に死ぬほど並んで入ったのは覚えていますが、おそらくラジオで聞いていたはずの現役時代のビートルズというのは記憶に無い。いわんやローリングストーンズは「ロックは不良の音楽だ」との掛け声の中、多分殆ど耳にしたことも無かったんじゃないかと思います。

もっとも、その後中学からギターを手にし、高校時代は親を騙してエレクトリック・ベースを買い込んで弾いていたりしましたからそれなりに触れることが多かったのは事実。でも、ストーンズはともかくビートルズあたりは感覚的に自分の上の世代の音楽という印象でした。

この「自分の上の世代の音楽」という感覚が実は懐メロ感の元なのかも。

因みに例えば60年代以前の曲というのはそれらに馴れ親しんでいた「上の世代」が直接見えていましたから懐メロ感を持てたのかもしれません。でもそれ以前のモノだと、たとえば大正時代も明治時代も対して変わらんし、たとえば日本の曲でも軍歌になると私の場合には自分の親の親の世代になってしまうので時代そのものが既に昔であるという感覚で、そこに懐かしさは既に無いわけです。

自分がギリギリ間に合わなかったのが懐かしさを感じて、それ以外は単なる古いもの。

もちろん曲への接し方次第では自分がその時代を知らない古い曲であっても懐かしさを感じる事はあるわけで、それはその曲自体に何かしら思いいれがあるか、あるいはその曲をある状況の中で聞いた記憶が全く別にあるか。そのあたりは個人差というには幅が広すぎるんですが、何れにせよ、なんかそんな区分けが出来るような気がします。でも何でそんな事を感じたのかって?

 

ローリングストーンズはイギリスの若い人にとっては単なる懐メロであるという説

いや、これは別にイギリスにおけるローリングストーンズに限らないんですが、知人との会話の中でたとえば現役時代を知らない曲を今の人が聞くと、洋の東西を問わず懐メロ的な印象を持つという話を小耳に挟んだんです。このあたりの人間としての感じ方というのはどうやら同じらしい。色んな例がが挙げられるし、実際のところそれぞれの人の経験が全てを左右しますから一概にどうのこうのとは言えない話なのは百も承知なのですが、それでも「なるほど、そうだろうな」と思った次第。

だからと言ってその曲が駄目だとか、そのアーチストがどうのとか言う話ではないのですが、世代の移り変わりってのはそういうことだよねというコトですね。そしてそれは別に音楽に限った話ではなく芸術一般に当て嵌まるかもしれませんし、テクノロジーの話にも当て嵌まるかもしれません。流石にもう言われなくなったPC/AT互換機と言う言い方がありましたが、日本では殆ど売られていなかったお陰でその言葉が出た時点ですら実はPC/ATを触った事がある人が殆どいなかったとか、マッキントッシュという名称が今のMacに繋がることを知らないとか、やっぱり関西人の私はマックというとAppleのMacでハンバーガー屋さんは(誰が何と言おうが殆ど意地になって)マクドだよと言い続けるとか。

そして物事は歴史になってゆくわけで・・・

 

Comment(0)