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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

「もしドラ」も含めたいわゆる「マネジメント本」はマネージされる側へのネタバラシなのかという話

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たとえば「もしドラ」。乱暴に言うと野球部のマネージャーと野球部という立ち位置を通して「マネジメント」を勉強しようぜという話な訳ですが、読者なり視聴者の目線は基本的にマネージャーに注がれるわけです。そりゃそうです。そういう主旨の作品ですから。

でも、これはマネジメントの話ですから、マネージする側のほかにマネージされる側という立場があるわけで、「もしドラ」の世界ではそれが野球部員であるわけで・・・

 

マネージされる側の視点という考え方

実はこの手のマネジメント本と言うのはある意味ネタ帳の一つだと思っているのですが、ある人が誰かのマネジメント論に傾倒してるのがわかれば逆にそれに対する対処方法と言うのが出てきたりするわけです。もちろん実社会で何かしらの理論だけで物事が進む事は少ないですが、それでも基礎知識の部分をどういう流れで得ているかというのが判ればその人の行動原理の基本的なところがわかってしまう。

そう。ネタバレするんです。

御存知の通り、誰しも何かしらの人なり組織から管理される立場があります。たとえ自分の腕一本で超巨大企業になるまで育て上げた創業者であっても、社業を一歩出れば何かしらあるはずなんです。同列かもしれません。上の立場の人や組織があるかもしれません。いずれにせよ、世の中の絶対権力者で無い限り、必ずそういう立場がある。勿論一般的な立場として、誰かしら何かしらをマネージする立場と、誰かからマネージされる立場がある。でも、この手のマネジメント本はマネージする側の理論を伝えるのが基本なので、マネージされる側の立ち回り方というのは所謂処世術的な話で成立するわけですが・・・

いずれにせよ、ネタバレしちゃうと対処方法を考えられちゃうところが無いかと言うと、そんな事は無いと思うんですよ。中国の諺みたいなやつで「上に政策あれば下に対策あり」みたいなところまで含めて。

 

そんな視点で世の中を見てみるとですね

たとえば嘗てのアメリカの政権内でそれなりに力を持った「ネオコン」と呼ばれたクラスターは非常に判りやすい行動原理を持っていたわけで、実際政策にかなり色濃く反映されたのは事実。

たとえば嘗てのソビエト連邦や中国における党支配も基本の行動原理というのがはっきりしていたお陰で、内部の権力闘争はともかく方向性としてそれほど大きくぶれることなく外部から予測できたりしていたわけです。

ほんでもってたとえば日本の過去から今までの経済界や政界での動きってどうよ?っていうのをぐるっと見てみるとですね・・・ と言い出すといろんなところに敵を作りそうですが、それぞれのPlayerがどういう氏素性を持っていて、そもそもどういう行動原理を持っていて、その周りのブレーンとして本来どのようなクラスターがあって、それを踏まえて現在はどういう方向に行きそうなのか、みたいな話。別に私自身が何か良く知ってる筈もないですが、今の状況から感情的に「何やってんだよこいつら絶対何か隠してるぜ嘘ついてるぜ信じられないぜキ~っ!」とかならないように出来ているのはこのあたりを冷静に見ようとしてるからかもしれません。

 

まぁ難しい事は置いといてですね

強引にぐるっとマネジメントのお勉強の話に戻してくると、たとえばアニメや映画、もちろん文学などの世界とかだと主人公じゃなく脇役に惹かれることってのは誰しもあります。ストーリーに入り込ませるのが基本ですから、そこに自分自身を投影しやすい。それに対して「もしドラ」はいわゆるビジネス書とは違う立ち位置だとは思うんですが、例えば主人公の配下として動く脇役への思い入れと同じ目線で野球部員に自分を置き替えるって、なんだかちょっと難しい気はします。少なくとも私は。

それに対して、(そういえば最近はあまり読まなくなりましたが)嘗て貪るようにマネジメント教則本とも呼べるような本を限りなく読んだ時期がありました。ここで得られるのは基本的にマネージする側がどういう姿勢でいるべきなのか系の話が基本。そこでのマネージされる側に関する話というのは人的資源管理的な話からスタッフワークのモチベーションをどのように維持するかチームとしての総合力をどうやって発揮するかとか言う話が基本で、どのように管理されれば良いのかみたいな話なんて出てきません。そりゃそうですが、そこがエンターテイメントと理論の話との違いですよね。

因みに個人的にはそこから派生して元々嫌いではなかった軍隊組織の運用なども含めた組織論、プロジェクト運用論、地政学的な知識としての中世史から近代史などと進んだ時期があったのですが、今考えるとあの頃は本当に本をよく読みました。いや、別に数ヶ月とかじゃなく年単位の話なんですけどね。もちろんそんな事を昔話としてシミジミと言う前に今でも本を読めよという話は当然ありますが、何しろ近視+乱視+老眼のトリプルパンチが辛くてですね・・・ (すいません。ただの言い訳です)

 

で、私自身のそういった過去の勉強は多分何かしら今に役立っているはずなんですだと思っています。きっと。多分。あまり自信ありませんが(笑)

とは言えたいして偉くもなっていない自分を引き合いにこの手のマネジメント本を「管理される側に対するマネジメントする側のロジックのネタバラシ」だと言ってしまうと、自分自身の主体性から何から微妙な感じがしてきちゃいますけどね(笑)

Comment(4)

コメント

islamalts

そういえば、というのも変かもしれませんが、
最近は、「フォロワーシップが大事」ということもいわれてますよね。
フォロワーシップはリーダーシップとリンクする概念と思いますので、
マネージされる側、というのとは厳密に言うと異なるとは思います。
が、今後マネージする側視点(政策)ではなく、
マネージされる側視点(対策)というのもメジャーになるかもですね。
今でも、「いやな上司対策」みたいなのはあるようですし。

islamaltsさん、コメントありがとうございます。
 
組織論的には組織をリードするときの重要性と同じくらいの重要度で組織を構成するそれぞれが各々の役割を如何に理解するかというのが根本にあるので、根っこは同じかもしれないですね。それを踏まえて今回のエントリーの流れで言うと、「如何に上司を育てるか対策」みたいなのはアリなのかもしれないとも思い始めています。

通り過ぎ

とても興味深い話題をありがとうございます。
基本同意しながら、蛇足的に突っ込みを入れさせていただこうかな、というコメントです。

マネジメントとリーダシップと、雇用関係の話がちょっとごっちゃになっているかなって思いながら読ませていただきました。
これらは当然に密接に関連する話なので、分離しろというのにも無理があるのですが(^^;)


英語のマネジメントを和訳すると「管理」になります。
しかし、日本語の「管理」の意味には、マネジメントの概念以外に、コントロールとか使用者が被使用者に対する誘導(?)みたいなニュアンスが混在します。
例えば、80年代くらいまではトヨタ等でお得意の品質管理=QC(Quality Control)であり、ここでは品質を「制御」する意味合いになってしまいます。
しかし、いわゆるQC活動などの基本姿勢はControl(制御)ではなくManegementであると気付き、90年代以降はQM(Quality Management)という言葉に置き換えようとしました。
(未だに置き換えに成功していない感がありますが・・・)
コントロールというと、上位が下位を制御するというニュアンスがありますが、マネジメントといえば、リーダーの力量(リーダーシップ)だけではなく、科学的手法も併用してプロジェクトや業務を一定の方向に進ませる共同作業のニュアンスが強くなってきます。


こういう意味でも、「マネジメント」にはネタバレは存在しないと思います。
むしろ、利害関係者全員が共通の目的に向かって、共通の目標を持って、事に当たっていくほうが成功の確率は高くなります。
これがマネジメントの原点だと思っています。
もちろん、これがスムーズにかつ成功するためには強力なリーダーシップが必要なのですよね。


すみません、ダラダラと勝手な意見を書き並べてしまいました。
お目汚しごめんなさい。

通り過ぎさん、コメントありがとうございます。
 
英語で言うManagementとカタカナのマネジメント、さらには漢字で書く管理との間のニュアンスの違いというのは本質論まで立ち返ると非常に大きなものがあると思っています。
実際それらをどこまで厳密に頭の中で定義するかというのは日本におけるマネジメント論の中での(ある意味余計な)課題だったりしますが、本質論とは別に現場レベルで言うと最終的に「管理職たるマネジメント」の「管理能力」的なところで評価が下されることが多いんじゃないかなという私自身の経験も踏まえた視点からエントリーにしてみました。
その意味では、私の意図自体が「ネタバレ」してしましましたね。失礼しました(笑)
 
何れにせよ、ご指摘いただいたようにManagementの本質は利害関係者のベクトルを合わせて共通目標を達成するチームを上手く動かすところであるという事については完全に同意いたします。その上でのリーダーシップをスタッフから単なる組織従属と看做されてしまうのか、はたまた共通意識を持ったチームとして色々なものを共有できるようにするのかと言うところがとても重要だと思います。そして前者には対策がありますが、後者には対策という概念そのものが存在しないんじゃないかと思います。

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