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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

わりと身近にあったサイネージ端末系があらかた止まっているけれど、実は大して困っていない自分

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私が普段通勤等で利用する沿線には過去1年くらいでドンドンいわゆる「サイネージ端末」と呼ばれるものが増えていました。動く電飾看板系まで含めると、いつの間にこんなところに?っていう物まで、まぁ多種多様。でも、流石に震災以降は全部真っ暗。駅も薄暗いしエスカレーターもかなりの数が止まってる。

これも時節柄、ということでしょうか。

 

そんなにニーズがあるのか良く理解していないんですけれどね

実はかつてKIOSK端末と呼ばれた物の極初期段階であった1990年代半ばからそういう世界に関与していた経歴があるお陰で、それらが描く市場のイメージは頭に持っています。言いたいことはわかる。送り手としての言いたい事は。でも受け手がそれをどの程度必要とするかってのとか諸々考えたとき、いろんな人が立ち止まり、足踏みし、ちょっと前に進み・・・ってことで来た訳ですが、それでも最近は増えてきました。

でも、正直な話、どれくらい利用されるものなのかっての相変わらず懐疑的ではありました。とはいえそれはあくまでも私の観測範囲の問題。

これは一種の流行、ではあるんでしょうけど。

 

それが電力供給の問題で一気に消灯の憂き目にあっているわけですけれどね

それこそ駅の改札脇の券売機ですら間引きされている今の状況では、ひとたまりも無いわけです。いや、全部が不要不急とは言いませんし、それらがたとえば飲食関係や販売関係の業界に対して、あるいは地域振興やら何やらにメリットがあるという何らかの判断があったからそこにあったわけですが、なにしろ電気が無ければどうしようもない。

そんな中、とりあえずそれらに頼る、あるいはそれらを便利に利用するという習慣も気持ちも全く無い私の場合には駅の通路の照明が落ちたのと同じ程度の関心しかなかったりします。

それはあくまで私の感覚。でも、たとえばショッピングモールなり駅の構内なりといった場所でいわゆるデジタルサイネージ端末の前で立ち止まって何かをやってる人って過去にあまり見た記憶が無いんですよね。

因みに割と最近でもそういったプロジェクトに絡んだコトはあったので、現状のデジタルサイネージ端末が目指すある部分についてはよく理解しているつもりです。でも、どちらかと言うと提供者視点で語られる事が多く、利用者、それも通りすがりの人にとってそれがどうなの?ってところがいまひとつ見えないなぁという気持ちは持ってましたし、それらのプロジェクトを通じてもはっきりしなかったんですよ。

 

これは自分が不勉強だから、ということではあるんでしょうけどね。

Comment(2)

コメント

TOSIZO

デジタル・サイネージっていうものに、僕は初めから懐疑的。前を通る人の属性を認識して適切なコンテンツを表示する、みたいな未来像が語られるけれど、それって人通りの少ない田舎の駅にでも置くの? 人通りの多い場所にそんなもの置いたって、同時にいろんな人が通るんだから「適切な」コンテンツなんて表示できないよね。
 だいたいさ、WebのFlash広告バナーだって目障りだよね。表示遅いし。
 3.11がらみでいえば、これからの日本は空間が空いてても余計なものを置かない。何でも電気に頼らない。何でもビジネスに結びつけない。かつて、ニーチェは嘆いた「アメリカは何でもビジネスにしてしまう」。アメリカ型の文化のあり方は、そろそろヤメにしない?

TOSIZOさん、コメントありがとうございます。
 
何についてどのあたりを適正と考えるかと言うところはとても深い話になるとは思うんですが、ことサイネージ端末系の世界について、今私たちは何が最新かみたいな議論と並行して、何が、あるいはどのような物が(本質的に)必要なのかっていうところを考え直す機会に立ち会っているのかもしれませんね。

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