Twitterが止まると息が止まってしまいそうな私、実はTwitter本と呼ばれるモノを殆ど読んでない事に気がついた
私がTwitterを使い始めたのは2008年の1月11日らしいんですが、気がつくとそれからかれこれ2年数か月。最初の頃の「なんだこりゃ?」から始まり、そのうち知人がそこに何人もいるのを発見し、そのうち知人が増えてきて、もちろんTwitterのユーザー自体もどんどん増えて・・・ という流れを私なりに見てきたわけですが、津田さんの「Twitter社会論」あたりからなんとなくいわゆるTwitter本というカテゴリーが生まれ・・・ 一体どれくらいあるのだろう?
試しにAmazonで調べてみたらですね
「Twitter」で検索すると全部で50点ほど出てきました。ふむふむ。とりあえずTwitterって何よ系、Twitterを商売に利用しようぜ系、どちらかというとSNS的な個人でお楽しみ系など、まぁ色んなのがあります。
そのなかで私が唯一読んだのは津田さんの↓「Twitter社会論」
ただ、既にこれ系を全然読んでないよと言っているにもかかわらずこれだけ本当に読んだの?と言われると悔しいので、一応証拠写真です。
たまたま機会に恵まれ、実はサイン入りです(笑
Twitterのステッカーはサインをもらったのとは別のタイミングでの場で某知人から頂いたのですが、共通の知り合いですので遠慮なく並べさせていただきました。
ということで、Twitterに関しては(も)、とりあえず肌で感じて覚えるという非常に情緒的な接し方でして
既にハウツー本系から何から含めて、Twitter自体をどう評価するのか、どう理解するのか、そしてどう利用するのかという議論が、もうそれこそ山のようにあるわけですよね。もちろんそれはそれで私ごときが何か言えるほどの立場でも状況でもありませんが、ただ少し気になる流れが見え隠れしている気がしています。
それがたとえば以前に私自身が脊髄反射 のできるTwitterが内包するソーシャルメディアの一つの側面やコンテク ストの理解が前提のTwitterでのつぶやき、というハードルといったエントリーでも触れた、ローカルルールの浸透を求めるクラスターの存在なんです。
Twitterの世界はこうあるべきだし、メディアやドラマにはこう取り上げられるべきだし、そんなキモチを無視したあなたのTweetは許せないし、そんなこと言われると私のTLが汚れるし、フォロー返ししてくれないし、そもそもフォローする前に挨拶してこないし・・・とまぁ、色んな言葉が既に飛び交っている状況です。そもそもTwitter社が決めているガイドライン以外にルールが無い世界なので何を言ってもそれ自体が犯罪行為でない限り良い訳ですが、そこに自警団的に動く人たちもいたりして混乱に拍車をかけている姿も見え隠れするわけです。
で、たとえば例の「初のTwitterドラマ」との触れ込みだったドラマの件におけるTwitterの扱われ方に怒り心頭の方々が脚本家を攻め立てるTweetの嵐を見ながら、自分で勝手に決めたTwitterという世界に対する価値観がドラマのシナリオと合わないからってそんなこと言うのもなぁ・・・と、そんな風景を、相変わらずシニカルに眺めている今日この頃です。