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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

たとえばその場にネット経由で居あわせないと、それこそメディアが間で仲介してくれないとニュースが判らない状況は既に嫌になってる

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つい先日のソフトバンクモバイルの新製品発表のあった日の発表会が開催されていた時間って、実は全然仕事にならなかったんです。一応同じような業界の中に居て、しかも今回はかなり中の人的には面倒くさいというか今後の動きを或る意味占うような発表があるのは判っていたので、それをどのように発表するか、どういう言い回しで説明するのかという部分について強烈な興味がありました。結果的にTwitterでのTLは知人をメインにした突っ込みとか意見の応酬で終わりました。

実はこれはこれで非常に深い意味がありましたし、それを目的にTwitterに午前中いっぱい集中していたのは事実です。実はその裏でTwitterで話をしづらい内容がTumblrで流れていたり、あるいは知人同士Googleのメッセンジャーでパラで話が進行していたりしていました。

これらの動きについては個人的に非常に強い興味があり、またそれを共有できる知人が多く存在したので自分的に何も違和感がありませんでした。が、これが一般のニュースやら何らかの自分が関連する業界のなかで日常的に行われていると、なんだかすごい違和感があります。

でも違和感って?

 

その場に居合わせられたらこんな手段はいらない。

Twitterでtsudaっている津田さんをはじめとして、確かに現在Twitter上には聞いて理解して誰かにに伝えるという三つの非常に高度な能力を発揮している人が何人かいるようです。もちろん不肖岩永の場合にはそんな能力がある訳もなく、ときどき暴れて140文字制限だからと平気で10連投する程度のアホなので比較の対象にすらなりませんが、とりあえずここで重要なのは実は伝える能力があること云々の議論ではなく・・・

 

ちょっと回りくどいか?

いや、情報を得るためにその場に、その瞬間に居あわせないとわからないっていうのが逆にとても問題なような気がするんです。いわゆるネット上での報道や情報っていうのはひたすら流れてゆきます。前にも別のエントリー基本的に流れてゆくものと切り取ったものの本質的な違いについて思うことで流れるものとある瞬間を切り取るものの性格としての違いというのを書いたのですが、この部分の疑問は未だに一切晴れません。

その意味では、前日のある時点で世の中をある視点で切り取った新聞やテレビの報道番組が今後も必要じゃないかと思うんです。

常に何か画面がたちあがるのを待って、そこで何か操作し、その結果をディスプレイを見るという話ってのはどうしても違和感がある。なんだかなぁ。

ということで、ワタシ、やっぱり紙媒体、それこそ新聞や雑誌が好きです。全部Kindleみたいに電子ペーパーになるのは許せない。キライです。って言うと、アナログならぬアナクロな人なんだろうけど・・・

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