何処も同じ、「人」がいてこその世界
ITの世界での2007年問題ってのは随分と前から叫ばれていますし、その意味ではありとあらゆる産業において世代交代の波が、それまでとは違う大きさで襲ってくるという現実があるわけです。1960年代生まれのワタシはいわゆる団塊の下の世代になるのですが、団塊の世代を中心とした世代交代の波に洗われつつある産業は、枚挙に暇が無いわけで・・・
人材の流動性についてのアレルギー
人材の引き抜き、あるいは流動化というのは昔から存在していたので、それほど驚くことではないのかもしれません。ただ、その受け取り方にはバイアスがかかる部分があって、たとえばワタシの場合、最初に就職した会社がアメリカ資本のいわゆる外資系であったこと、そこを辞めて業界中の色んなところにOBが山のようにいたこと、そして親戚関係にも外資の企業を渡り歩いてた叔父がいた事など、随分前から人が動くことについては免疫ができていた気がします。
もちろん、自分で転職を経験した中で、特に最初の転職については非常に厳しい状況を経験したりもしたので、表面上の世間の流れの理解と個人の問題としてどこまで受け入れられるかという部分のギャップがあったりして、これはこれで微妙に自己矛盾していたりしますが、まぁ、それはあくまでも個人的な感情。
終身雇用制は崩壊した論
実は冷静に考えた場合、日本的な雇用慣習といわれてきた「終身雇用制」が社会的に定着したのはそれほど昔ではないのですが、たとえば高度成長期以降は企業の成長サイクルにあわせた人材の確保が重要になったことから、終身雇用制を謳う企業が増えたという歴史的事実を忘れることは出来ないはずです。制度上定年はありますが、その後も企業年金などの制度を整備することにより、ひとつの企業(もしくは企業グループ)で働き続けるためのモチベーションを維持してきたわけですが、それがバブル崩壊以降にだんだん怪しくなり、昨今の経済危機のなかで雇用の維持以前に事業体そのものの維持が大変になってきたことから、色んな動きが出てきているのは皆さん子存知の通りな訳です。
そんな波が、たとえばメディア業界にも無いわけが無い。ということで、こんな記事。
雑誌や新聞に限らず、メディアの中の人と接することがゼロでは無いワタシにとって、記者のみならず編集長やそれ以上の方の異動・・・というか転職の話は特に目新しい話ではありません。実際に、よく知っている方がそれこそ対抗するメディアに移った話を直接伺ったこともあります。
編集者、記者とも、所属する媒体の名前を使いつつ、でも最終評価をもらう自分の腕で喰ってるところもあるわけで、その方がひとつの媒体でずっと続けるのもひとつだし、色んな流れの中で他の媒体に移ってゆくのもひとつ。
ただ、ココに厳然と横たわるのが、個々人が他の土俵で生き残れるかどうか、使いたいと思ってもらえるか。程度問題はありますが、これは他の業種業態の転職事情と余り変わらない気はします。
もちろんメディアとしての特殊性もあるわけで
そもそも記者、編集者とも完全にプロフェッショナルな仕事だと思います。そのなかでも特定の人がいないと成立しない媒体もあったりするわけで、ある一定のポジションを取った媒体の編集長の交代がその媒体の未来を予想させるケースもあったりします。一読者として「元xxxの編集長だったyyyが編集長を務めます」みたいな紹介で飛びついた雑誌なんかもありました。もちろん媒体としての方向が違えば表現方法も異なるわけですが、それでもどこかにその編集者のテイストが感じられるってのが悪くないわけで。
記事にしろ編集にしろ、そういったクリエイティブな部分でのプロフェッショナルスキルが評価のある一定部分を占めるというのが、たとえばITとか通信、製造、流通といった業界の中での転職とは違うのかもしれません。
求められるスキルセットが今の居場所にあうのか、他に行った方が生かせるのか。
多分基本的な部分で言うと、これはどの業界にも当てはまるんだとは思います。もちろん、スキルセットだけあってもダメで、それがハマる受け側の穴があるかどうか。因みに、記事中にある「元々そういう人たちを育ててきたのか」という部分については各社それぞれの事情と理由と言い訳があるとは思いますが、ワタシ個人としては人を育てることから始めることも大事だし、むしろプロフェッショナルスキルを持った人を集めることによって成立することもひとつの方法だとは思います。
これはIT業界にも当てはまることなので、多分そういう風に書くと具体的な企業名が出てくる人もいるかもしれません。
いずれにせよ、社会の流れをそれぞれの立場と視点で切り取るメディア側も、また社会の流れの中にいる、ということでしょうか。