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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

iPhoneに手を出さないワタシは、それでもケータイ2個持ち

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何度か書きましたが、私は基本的にケータイ2個持ち。普通の電話+スマートフォン。ある時期、スマートフォンに統一できるかと思ってみましたが、結局駄目でした。そこで思い出しました。私は単機能好き。ひとつに複数の目的を持たせた機械は基本的に好きになれないようです。

 

けだし名言。「電話は話せりゃいいじゃん」

かつて存在したある携帯電話会社の、最後のころの広告コピー。そこに至った理由はぜんぜん別のところにあるのですが、言葉自体、私は大好きです。喋れればOK。それが電話を使う目的なんだから。

 

でもケータイで電話しなくなっちゃったんで・・・

普通ケータイからメールを打ったり、何らかのサイトを見たりというのがケータイのメインの用途になっちゃいました。じゃぁフルキーボードの付いたのに統一しちゃえば良いじゃん、と思っては見たのですが、画面を縦にしたり横にしたりというのが何気に面倒くさい。どうやら頭の中で、ケータイのメールやサイトを見る、というのはひとつのカテゴリーとして確立しちゃっているようです。

 

じゃ、スマートフォンの自分の中での立ち位置は?

スマートフォンの最初の購入目的はブログの下書き&Webサイトの閲覧マシーンだったのですが、文字を一生懸命打つには自分的にはいまひとつスッキリしない。気が付くと、とりあえず仕事の電話で使うのと、あとはExcelが使えるのでパスワードの管理のための一覧表が入っているくらい。

あ、この部分で言うと、「全ての連絡先がケータイの電話帳に入っていたりするので、家に忘れたり無くしたりすると誰とも連絡が取れなくなる症候群(仮称)」と同じで、実はワタシは「全てのシステムのパスワードをスマートフォンのExcelで管理しているので、家に忘れたりなくしたりするとあらゆるシステムにログオンできなくなる症候群(仮称)」みたいなもんかもしれません。

肌身離さず持っている必要性はあるのですが、なんだか機器自体の本来の存在目的とは違っている気がしてきました。

 

余り多くを求めない、という意識

何を使っても、そのときそのときで使用目的も実際の使い方も変化するんだとは思います。最初から単機能であれば、その機能が不要になる=その機器を使わなくなるということではっきりするのですが、何でも出来ちゃう機器だと、ワタシのスマートフォンみたいにいつの間にか用途が変わっちゃうということもあるんじゃないかと思ったりします。

iPhoneはケータイかどうか論っていうのはそろそろ沈静化しつつある気がします。きっとiPhoneはiPhoneというひとつのカテゴリーに分類されるのかもしれません。そもそも単機能じゃないんで、既存のカテゴリーの中に割り付けようとすると、いくつものカテゴリーに跨ってしまう。この考え方は、いわゆる伝統的(笑)なスマートフォンでも同じですね。

で、あとは自分が自分のために買う機器として、それ自身が持っている機能の一つ、あるいはいくつかを使いたいとか使う必要があると認識すれば買うのかな?と冷静に自分を分析しています。たとえば・・・

ワタシは実は今はケータイ音楽プレイヤーを使わない
ワタシは実はいわゆる携帯ゲーム系機器を持ったことがない
ワタシは実は単機能に徹した機器が好きである
ワタシは実はケータイの使い勝手が体に染込んでて、それはそれでOKと思ってる
ワタシは実はケータイ事業者のサービス経由でのWebサイト閲覧に不自由を感じていない
ワタシは実は爪が柔らかすぎてタッチパネルで細かい操作が非常にし辛い
ワタシは実は指自体も乾燥しがちで基本的にタッチパネルには苦手意識があるのかもしれない
ワタシは実はAppleの製品を使ったことがない
ワタシは実は通信事業者の好みが激しい(をいをい)

まぁ見事な言い訳です(笑

でも結局これらは単なる言い訳で、本当は欲しいのだけれど買わない、あるいは買えないことを自分なりに納得させるためにゴチャゴチャ言ってるだけ? う~ん、そうかもしれませんね。ま、買うときにはいきなり買っちゃうんでしょうけど。

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