マーケティング筆記試験 - 受験後記(笑)
藤井さんのエントリー、マーケティング筆記試験 - 結果編に刺激を受けてのエントリーです。これ、すっごく楽しいです。そうそう。要は行動原理や経緯の理解、ある結果に行き着く過程、そしてそもそも何処に目線を置いておくか。
受験の心構え
私の場合、とりあえず「解答用紙はこんなカンジ」という条件は意識しつつも、全体の文字数とメッセージとして何を残すべきなのかだけを考えてみました。ただ、カタログの説明文章風にすると誰でも書けるだろうから面白くないので、結果的に広告のコピー的あるいは自分もしくは誰かに喋ってもらうならどんな風?というのが言葉選びの考え方。
そう。キモチは結局何らかのプロモーションのコンペに際して制作側が考えるのと全く同じで、与件を整理して言葉に置き換える作業そのものですね。与件は与件でしかなくて、それを自分なりにどう消化して文字に置き換えるか。私の場合にはボールペンを使う動機にポイントを置いて、とりあえず試し書きしてもらえたら体で判る優れた機能はあると信じ、文字が果たすべき役割はそのボールペンそれ自体をとにかく手にとってもらうことが目的だと考えて、そうなると単なるブツの説明ではなく…
使いたくなるメッセージって何だろう
手にとってもらう切っ掛けは何だろう
どうすれば気づいてくれるだろう
…という風に考えてみました。
ただ、最終的にその仮定と過程が試験を実施する側が求めるものかどうかは判りませんから、「理解が間違ってます。不合格!」といわれる可能性もとても大きいんですけど、まぁ今回は一応考え方の説明=簡単なプレゼンが出来るところまでということで考えてみました。
どこまで行っても正解が無いのがマーケティング
オルタナティブ・ブログのブロガーを初め多くの人がいろんな所で触れていますが、長年マーケティング、特にここ数年はイベントをはじめとしたマーケティング・コミュニケーションに携わって私自身思うのが、正解が無いからマーケティングは面白いということです。
可能な限りという条件はつくのだけれど、たとえばある製品やソリューションのプロモーション。そもそもの目標を定義し、対象を定義し、目の前の状況や設定した「場」を考え、その場で得るべきモノや成果を設定し、また所与の条件を踏まえてその時点での「おそらく」最良と思われる方法で何かしら動く。得るべき結果を仮定し、実施段階でその検証を行い、修正した上で…というスパイラル。前回の方法が今回の最善の方法とはいえないし、唯一無二のアプローチは存在しない。だから止められない。
極論すると何をやっても良いのがマーケティング
論理的に考えるのはとても大事だけれど、正解は無いからある一定の仮定を立てて、それを信じて動き出す。ただ正解が無いんだから必要に応じて方法は変更するし、状況によっては根本の方針や目的すら変える必要が有るかもしれない。結果的にゴミ箱を蹴っ飛ばしたくなるくらい頭に血が上る事もあるけれど、対案が出せないなら素直に従う。
さて、では自分は何処に立ち位置を置く?
私の場合、今はイベントが仕事の軸なので、前後の色々な動きはともかく、一番目立つ本番に関しては「とにかく与えられた短い勝負時間で何を持って帰ってもらうか」が全ての行動原理の基本だと思っています。
セミナーでも精々1セッションあたり1時間、全部で半日とか一日。展示会だともっと厳しくて、極端な話、ブースの前を通過する10秒で勝負しなきゃいけない。必要と有らば嘘にならないぎりぎりのハッタリをカマすところまでやります。たいていの場合やり直しは効かない。殆どの場合、そもそもそんなチャンスが無い。
だから、やるときにはやる。徹底的にやる。
だから、ガチンコの場が終わると、気絶しそうなくらいヘトヘトになる。
まぁ、それが楽しいからこんな稼業やってるんですけどね。