あなたは「天才型」?それとも「秀才型」?
おはようございます。
だいぶ冷え込みました。今朝は気圧のみ測定、1008hPa。
===ほぼ毎朝エッセー===
中国語のS先生の日報にありました。
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「Good News」
最近日本の評論家――近藤大介氏が書いた中国語の本「唯有青春,最难将息」を読んでいます。彼が言っていることがとても分かりやすくて「なるほど」と思います。例えば、仕事ができる人は「天才型」と「秀才型」の2種類があります。「天才型」はある分野で非常に優れた才能を持っているが、今の仕事を失ったらドン底に落ちます。「秀才型」はそこまでの才能を持っていないが、どこに置かれても仕事ができる。そして、大概「秀才型」の人が採用されるそうです。你觉得呢?
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最後に「你觉得呢?」とあったのは、きっとこれは私への問いかけでしょう。次が私のコメントです。
⇒我觉得我是「好奇心型」和「努力型」和「忍耐型」、不是「天才型」和「秀才型」。
中国語が合っているかどうかわからないのですが、このような意味のつもりです。
私は自分のことを「好奇心型」と「努力型」と「忍耐型」だと思います。「天才型」や「秀才型」ではないです。
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「天才型」とか「秀才型」とかいう表現だと、「あの人は自分とは違う」という前提を置いてしまうような気がするのですね。でも実際のところ、別に「天才」でも「秀才」でもなく、殆どの大切なことって何か別なことから成り立っているのではないかと思うのです。
私の場合は新しいことへの「好奇心」があり、決めたことは「努力」して「継続」する、どちらかと言えば、自分のことを「鈍才」なのではないかと思います。舌を巻くような才能や知識を持っている人って周りにはいくらでもいます。
そして、人は別に「天才」や「秀才」でなくても構わないと思っています。人は必ず何かを持っている。その能力の可能性には限界がない。そう信じていいと思います。その能力をどのように引き出せるか、そういう環境が創れるか、それが大切なのでしょう。
以前あるビジネス番組でダイキンの紹介がありましたが、印象に残っている言葉があります。
「モノやお金は大化けしないが人は大化けする 」
私も人の可能性を信じています。