1976年、ロンドン日本人学校の設立の頃
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===ほぼ毎朝エッセー===
□□帰国子女という言葉がまだ一般的でなかったころ
先週の日曜日はロンドン日本人学校の同窓会がありました。そのため、土曜日の台湾での入社面接の後は夜の便で帰国させてもらいました。
1976年。自分が中学2年生の頃、ロンドンに日本人学校が創られました。それまでイギリスにいながら日本語の小中学校の教育を受けるには、全寮制の英国立教に行くか、毎週土曜日の日本語補習校に行くかしかありませんでした。
当時の日本製品の台頭とともに、日本人駐在員が増え、通える日本人学校が必要となり、教育委員会や大使館などの要請や協力で立ち上がった日本人学校。当初は校舎もないので、小学校はチェルシーの建物、中学校は大使館の広報センターの会議室を借りながらのスタートでした。先生方はお昼お弁当をタクシーの中で食べながら校舎を行き来していたとの裏話も。
開設から半年後、ロンドンのカムデンタウンというところに、なんと元修道院だった建物を改装して、日本人小中学校がスタートしたのです。立派な聖杯堂もありました。
日本全国から選ばれた先生たちは2年間の期限付き派遣されていました。今回の同窓会では、当時のその先生たちが3名、そして設立に当初からかかわって、教頭先生をされた方を合わせて、4名お招きしての同窓会だったのです。
東京在住の教頭先生の小鴨述夫先生以外は中学を卒業してからお会いしておらず、特に懐かしかったのは中3で担任になってくれた、藤井幸一先生という数学の先生が高知県からいらしてくれたことでした。38年間ご無沙汰していたことになります。当時の先生は35歳。今の自分よりずっと若いわけです。当時の自分を思い出すと、中学生、反抗期真っ只中で、まさに穴があったら入りたい気持ちもしました。
同窓会に参加した24人の生徒側は、設立当初の中学校の1~3年を中心としたメンバーたちでした。つまりそのほとんどの人たちとお会いするのは38年ぶりです。面影と記憶を結びつける作業、これが同窓会なのでしょう(笑)。各界でみなさん活躍しているなか、一つ印象的だったのが、みなさん「帰国子女」という言葉に苦しめられたという共通体験です。
「ロンドンに住んでいたんだから英語は得意でしょ?」とか。
「子女、ってお前、男なのになんで帰国子女なんだよ?」とか。
帰国子女という概念も根付いていなかった時代、多感な時期にバラバラに帰国し、異質性からいじめられたりすることもあり、英語もだめだけど国語も数学も中途半端という体験もあり。帰国子女という十字架の重さについて話が盛り上がったのです。
それでも、みなさん、それを乗り越えて、ちゃんとした円熟した大人になっていたのが面白かったです。そう言えば、自分と同じ筑波大付属の大塚校に帰国子女枠で入ったという3つ年下の後輩が東大教授になっていて、なんでも、日本人学校時代では私の妹の同級生(ややこしい!)だったと。交流復活です。また、1つ年下の東京電力の人などと CACHATTO について話が盛り上がりました!「こういうの、導入してくれないかなぁ!」と。
藤井先生は、「ロンドン日本人学校で教えることになる生徒たちは、今後の日本を変えていく人たちだ」との、強い覚悟で教えてくれていたとお話しされていました。だから私の反抗期も温かく見守ってくれていたのですね。
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※20160330 タイトルの年が間違っていることに気づき訂正。正しくは1976年です。