端午節句・ドラゴンボート・ちまき・柏餅の関係
おはようございます。
太陽が出ているものの、灰色の雲も出ている。
そのような混じった空の朝です。
===ほぼ毎朝エッセー===
先日の、旧暦の5月5日が「端午節句」の頃、台湾や中国の人たちの日報で「ちまき」や「ドラゴンボート」のことが話題になっていました。また、アルバイトで来ているタイ人のNさんの先日の日報からも、Zongziなる食べ物が紹介されていました。引用させてもらいましょう。
[Good News/Appreciation Message]
- Yesterday, I went to Chinese restaurant and randomly asked if it sell Zongzi (traditional Chinese food). Luckily, the chef is planing to make Zongzi today. So, I'm going to eat Zongzi today. I just learned the word Zongzi from Y-San. Because in Thailand, we call it Bachang.
これを読んで、「中国語で言うZongziって何?」「タイ語ではBachangというのか」と、食べ物であることまでは分かったのですが、どうしても分からず画像検索をしてみました。その結果、「ちまき」であることが分かりました。
「そういえば端午の節句の英語ってどう表現するのかな?」と、今度は「端午の節句」と検索ワードを入れてみたら、「端午の節句 ちまき」という検索候補が出てきて、何気なく選んだところ、次のページを読むことになりました。
http://www.kougetsu.co.jp/timaki.htm
ここには、端午の節句とドラゴンボートとの関連まで説明がありました。様々に納得が行きました。サイトから引用させてもらいます。
以下引用==>
・ 柏餅が日本のオリジナル祝い餅な一方、粽(ちまき)は中国の行事とセットで日本へ伝わってきた習慣です
・中国は戦国時代、紀元前278年のことです。楚(そ)の国の高名な詩人、屈原(くつげん)は国王の側近としてつかえ、人々からも慕われていました。しかし陰謀のため国を追われることになった屈原は、ついに汨羅(べきら)という川に身を投げてしまったのです。その日が5月5日。屈原の死を悲しんだ人々は、たくさんのちまきを川に投げ入れて弔いました。
・ ところが漢の時代に、里の者が川のほとりで屈原の幽霊に出会います。幽霊曰く、「里の者が毎年供物を捧げてくれるのは有り難いが、残念なことに、私の手許に届く前に蛟龍(こうりゅう)という悪龍に盗まれてしまう。だから、今度からは蛟龍が苦手にしている楝樹(れんじゅ)の葉で米を包み、五色の糸で縛ってほしい。」 と言いました。
・それ以来、楝樹(れんじゅ)の葉で米を包み五色の糸で縛って川へ流したので、無事に屈原の元へ供物が届いたのでした。
・これが粽の始まりと言われています。屈原の故事から、中国では五月五日の節句には、節物として粽を作り、親戚や知人に配るという習わしが生まれ
ました。
・そして、その風習は、病気や災厄(さいやく)を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったと言われています。時が流れて後、中国の三国志の時代、端午の節句は、魏(ぎ)の国により旧暦五月五日に定められ、やがて日本にも伝わって行きました。
・ そして日本へ端午の節句行事とともに伝わり、今日に至っているわけです。
・一説によると、楚 の国民達は、小舟で川に行き,太鼓を打ってその音で魚をおどし,さらにちまきを投げて,「屈原」の死体を魚が食べないようにしました。その日が中国の年中行事になり,へさきに竜の首飾りをつけた竜船が競争する行事が生まれたそうです。
・これは今日のドラゴンレース(龍舟比賽)の始 まりとも言われています。
<==以上引用終わり
消毒性のある葉っぱにくるんで出す、それが日本に伝わって柏餅になったというわけか。知らないことって多いです。
社内に色々な国の人たちがいると、年間行事を通じて様々なことがわかり、面白いです。日本の伝統と思われていることも、アジアの文化の中で伝わってきているのだと実感しますね。