どの言葉でも敬語・丁寧語・文法が大切だと思うわけ
おはようございます。
今朝は一転晴れ。雲は若干多め、湿度も高めです。
===ほぼ毎朝エッセー===
まるで語学学校を持ちこんだような近年のe-Janです。
日本語を学んでいる人たちがいます。
英語を学んでいる人たちがいます。
中国語を学んでいる人たちがいます。
皆で苦戦するのは敬語とか丁寧語とか文法とか、「正しい」表現をすることです。でも「正しい」表現は大切なようです。
20年前にアメリカでMBAの授業を受けていたころ、自分がとても驚いたある同級生の「批判」を聞いたことがあります。それは、白人のアメリカ人が、アジア系アメリカ人同級生の、彼の話し言葉の「文法が間違っている」ことをバカにして、不快に思っているということだったのです。
外国人ならともかく、アメリカで教育を受けて、MBAまで取りに来て、そこで文法が間違っているというのは変だと言います。これを聞いたとき、自分も40数年前フランス語が堪能だった小学校低学年のときに、文法が間違っているのは子供言葉か幼児言葉という聞こえ方をしていたのを思い出しました。
日本語でもそうですよね。敬語や丁寧語が明らかに間違って表現する人や漢字の間違いを見たら、「あれ、大丈夫?この人」と、不信感が湧いたりします。(自分は人のことは言えませんが...)
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ビジネスでは子供言葉や幼児言葉を使いません。正しく表現ができないと、正しく教育を受けていない、あるいは正しくビジネスでの受け答えができないとみなされます。そいういう人とはビジネスはしたくありません。
外国人である場合は、ある程度許容されます。それでも、しっかりとビジネスを進めたいのであれば、いい加減な表現は避けるべきなのです。ネイティブチェックを受けたり、語学を指導してもらったりすることが必須なのです。
もちろん、気にし過ぎて委縮して黙ってしまってはいけません。外国人として許されるうちには、どんどん間違って、それこそ愛嬌で乗り切るというのは正解です。
ところが、どこかの段階で正確な表現が必須になってきます。その境目について考えていました。そして思いついたのですが、自分の主張や表現、そういったことを強く表現したいときに必要になるのではないかと思いました。知性を持っていると相手に見られることが、相手に許容される第一歩だということなのです。
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「あ、この人は頭がいい」とか「何か丁寧だぞ」とか。
人は相手に一目を置いてから、初めて本気で許容し、丁寧に内容を聴いたり読んだりするものです。これは万国共通です。
その一歩目になるのが、正しい表現。だから、その地域での正確な言語で表現するということを、軽視せずに、しっかりと学んだ方がいいと考えます。親しき仲にも礼儀あり的な。
そういう意味では、大文字小文字を含めて、他社の商品名をウェブでチェックして正しく表記することも、緻密な姿勢を示す知性ということで重要なのですね。誰でも「他人のものをリスペクトしない雑なヤツ」とは付き合いたくないですから。