「いい苦しみかた」と「悪い苦しみかた」
おはようございます。
今朝はすっきり、まさに五月晴れ。気持ちのいい季節です。
===ほぼ毎朝エッセー===
確か「チャレンジド」というドラマがありました。
体が不自由になっていることをそう表現するようです。大人になってから目が不自由になった静岡の先生のお話。チャレンジされているのだから苦しい。そして、それを乗り越えて新境地に至ると成長している。
人が言うのは簡単ですが、誰でも自分が人生の主人公です。その場から逃げずに克服するというのは素晴らしいことです。
仕事もまさにそうで、「無理でしょ」と思われるようなことを、シッカリと乗り越えられた時に、自分も事業も成長しています。
どうやら[苦しむ]→[克服する]→[成長する]というのは、一つの定番図式なのかもしれません。
ところが、やたら苦しむのがいいわけでもありません。どうやら世の中には「悪い苦しみかた」と「いい苦しみかた」があるようなのです。
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苦しみは「思い通りに行かない」ところから発生します。
自分がこうありたいと思っていてもそうでいない。ギャップがあるから悔しい。でも、ギャップを認識するのだから、それが克服できれば結果として成長しています。
漫然とそのギャップを恨んでいるのが「悪い苦しみかた」。苦しいから何もできない。動かない。時間がゆっくりとしか流れない。こういうことって多いですよね。
では、「いい苦しみかた」とは?
まずは、この苦境が打開できると信じることです。
打開とは、正攻法だけとは限りません。物事はゼロサムゲームではありません。クリエイティブな第三の解が必ず存在します。第三の解と巡り合えることを信じることです。これは言い変えたら徹底的な自己肯定なのかも知れません。
そして、次には、目の前の課題に全力で取り組むことです。
目安になるのは、時間を忘れるほど集中できるかどうか。時間というのは不思議なもので、長短が異なって感じられます。時間があっという間に過ぎるのは集中しているとき。
この尺度でやる物事を決めれば間違いないでしょう。同じ仕事でも、「よっし!やっちゃるぜ~!」と取り組むのか、「うう、なんでこんなことをしなければならないんだろう」と取り組むのか。考え方一つで見え方も異なりますよね。ゲームにしてしまうのです。
これが「いい苦しみかた」です。
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「いい苦しみかた」を3年スパンで続けたら、物事は必ず信じられないほど好転しています。
ところが、3年スパンというのが微妙なのですね。残酷なまでに時間がかかるので、苦しみに心が折れてしまう。そして境遇を恨めしく思う「悪い苦しみかた」に陥ってしまう。寿命が縮まります。
あるいは苦しむ分野を変えてしまう。分野を変えていては何事も実現しません。
そういうときには、修正すればいいのです。「いい苦しみかた」してるかどうかチェックするのです。
それだけです。