10年前の壮絶な日々が走馬灯のように蘇った
おはようございます。
傘を使うか使わないかが迷われる程度の雨の朝。
===ほぼ毎朝エッセー===
□□走馬灯のように蘇った記憶
執務室のデスク類も揃いました。
セミナー室とリラックススペースの木材床も設置完了。稼働壁の調整も終了。
テレビ類も次々と取り付けられる。打合せ用の家具やラック類が入るのは4月末。いよいよ明日は業務をお休みさせてもらい、一挙に引越し作業です。
考えてみると平河町に表参道から移ってきたのは2004年末です。まるで夜逃げをするように、フロアスペースも人も縮小しながらやってきた平河町だったのです。
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当時のこのビル、1階の表玄関は駐車場でした。その裏側、窓の無いスペースを借りました。月額家賃も30万円程度、表参道より大幅に安くできたのです。そこにサーバーやら何やら持ち込んでカオス状態。引越しは前後何日も徹夜しながらのお金を極力かけない辛いものでした。
事業は赤字。CACHATTOの部品をOEMするのだと、他社に売る交渉をしていて、開発はインドに外注していました。プロトタイプ品質の開発品をお客様に急いで納品していつも火を噴く。そしてバタバタと火消しにお金をつぎ込む。そのような日々でした。
サポートは皆目見当がつかず、CACHATTOの中身は中世の魔術的な解釈で成り立っている状態。当然のことながら事業は大赤字。売上からすると累損や借金は天文学的数字にまで上がっていました。
引越しをしてからです。
行動計画表を創り、インドからスーパー技術者がやってきて、開発は内製へと変更。どの開発をすれば、事業資金が回るかをエクセルで予測するのが行動計画表でした。
まずはcHTMLのサイトを透過して携帯で使えるポータル機能を追加します。次にRSA対応をして、「買ってくれる」ところに納品できました。新機能の提供はカスタマイズではなく、要望される機能にはきっちり対応し、標準機能として実装するのです。
次なる開発はIMAP対応と。IMAP実装をすればシチズンさんと関電さんが採用してくれるとのこと。ホワイトボードに開発項目を書き出してみたら440項目ありました。それをインド人技術者と徹夜で整理して135項目ほどに圧縮します。そして集中的に開発。夏から秋にかけてCACHATTOにIMAP機能が実装できました。
「実際の大型注文がもらえるまでは」と、禁酒を決行します。
月末は毎月資金繰りとの戦い。なぜ給料日を25日したのかと恨みます。ついに給与が払えなくなると覚悟した10月。ある販社の社長さんに直談判します。500万円を先買いしてもらってなんとか凌ぎます。その直後にシチズンさんからの注文書がファックスで届きます。
注文書をホワイトボードに張り付けながらの祝杯。禁酒は64日で解けました。
そして迎えた年度末。関電さんからの受注が入ります。初の黒字です。20万円程度の営業利益。経常利益は若干の赤字。まさにプラスマイナスゼロの世界。税理士さんとは決算を絞めたときには、まさに涙を流しながら、抱き合いながら喜びました。
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当時の感覚を思い出すと不思議と悲壮感はありません。
やるべきことを理性的にやる。合理的な判断。数値での予測。目の前のことに集中する。将来を不安がらない。こういった姿勢を身につけたのはこの頃だったと思います。
このビルはそんな状態からここまで成長させてくれたところです。今の体制は夢のようです。でも、そろそろヤドカリの貝殻が小さくなりすぎた。引越しをして次なる成長フェーズに移るのです。まだまだ足りないところだらけですから。
着々と新オフィスがその姿を現してきています。この大プロジェクトをしっかりと緻密に進めてくれている設計士さんや引越しプロジェクトのメンバーたち。大感謝です。