母と自分と娘、3世代の歴史認識の違いから分かったこと
おはようございます。
暖かくなるとの話にセーターを着ずにでたら思ったより冷えます。でも、家の北側の雪も徐々に溶けてきています。
===ほぼ毎朝エッセー===
今朝の【朝メール】の日付が20140226であることから、今日が226事件の日だと再認識しました。226事件と言っても、自分には全く実感がありません。でも、なんとなく関わりのある事件として認識しています。
実は母が生まれた翌日に勃発したとのことです。その頃に警察官だった祖父は、その日の勤務シフトを、「子供が生まれる日だ」ということで別な人に交代してもらったため、祖父が生き残ったのだと聞かされたことがあります。それ以来226事件は、自分にも「なんとなく関係ある」事件だったのです。
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先日、高校生の娘が第二次世界大戦以降の「歴史」を教えて欲しいというので、彼女の書いた授業のノートを見せてもらいました。
ケネディー大統領が60年代初めに人類を月に送ると宣言して、実際にアメリカはそれを達成したこと。ベトナム戦争が泥沼化して彼女の祖父がそのころ活躍したこと。ゴルバチョフ大統領がソ連を崩壊させ冷戦がベルリンの壁崩壊とともに終結したこと。湾岸戦争やイラク戦争が好戦的なブッシュ親子によって発生したこと。共産主義と資本主義、社会主義と民主主義。
1990年代生まれの彼女にしてみれば、これらすべては立派な「歴史」であるわけです。自分にしてみれば、実際に物心がありながら通り過ぎてきたことです。これらのことを、社会の流れとして説明をしたら娘も理解が進んだようでした。
その後、娘から聞かれました。
「パパは高校生の頃から、こういったことが分かっていたの?」
すぐ様に答えました。
「いや、全然。高校生の頃にはまだ起きていなかったこともあるしね!」
そう。娘には自分が226事件に「遠さ」を感じるのと同様なものが今回の彼女の「歴史」の範囲だったということです。流れの理解が進んだのも、ものごとが起きて、新聞やニュースで理解して、時間が経つことによって解釈が固まって、自分なりの咀嚼が進んで、ようやく把握できているものです。高校生の頃には到底見えませんでした。
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30年ほどで一世代違ってきます。世代の同時性。その違い。同じ時期を暮らしてきた人たちは、国や場所の違いよりも、同時期を生きたことの密度の方が大きいかも知れません。
特に、情報が流通やすくなっている時代です。地域間の文化の違いよりも、世代間の文化の違いの方が明らかに大きくなってきているのでしょう。とかく地域間の文化の違いに目が行くことも多いわけですが、世代間の文化の違いにも意識を向けておく必要があります。
それらの違いがあること自体を尊重するような文化を創る。理想組織のレシピの一つなのだと考えます。