1年があっという間だけど2年前が大昔に感じるのは何故?
おはようございます。
昨晩は冷え込みました。
今朝はその続きで寒いかと思いきやそれほどでもないか。
===ほぼ毎朝エッセー===
AさんのDR (Dairly Report 日報) より:
[Good News/Special Thanks To]
* 本日は1月年次更新案内のメールを作成し始めました。
後、2ヶ月で2014年だと考えるとなんだかビックリします。
一方、KさんのDRより:
[Good News/Special Thanks To]
・今日は11/11。DRはDR20131111と1が多く登場する日です。
そういえば2年前、「DR20111111」って冗談のような日があったなと
思いだし、少し見返してみました。
当時、DR提出者は30人ほど、CACHATTOはV4.5 R4のリリースに向けて開発が
進んでいた時期だったようです。
現在は社員数は1.6倍の50人弱となり、CACHATTOも様々な改良が実装され、
e-JanもCACHATTOも当時からは想像がつかないほどの成長を遂げたのだと
改めて実感しました。
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この二つを読んでいて時間は魔物だと思いました。
片や1年という時間が如何に短いかを書いています。
片や2年という時間でどれだけ変化したかを書いています。
寝ていると時間はあっと言う間に過ぎる。あるいは目の前のことに集中しているとあっと言う間に過ぎる。一方、電車を待ったり止まっていたりすると長い長い。「一日千秋の思いで待つ」といいますが、待つのは長く感じます。特に、楽しみにしていることを待つのは長いです。
待っているのが苦痛な時には手近な何かをしてしまいます。
スマホのゲームで時間をつぶすとか。あるいは寝て待つ。ゲームは目の前の集中感で時間を忘れさせます。寝ることも目の前のことへの集中の最大限のことなのでしょう。美味しいものを食べたり、お酒を飲んだりするのも同じ。目の前のことに集中できるし、特にお酒は時間の感覚を麻痺させます。
でも折角なら創造的な目の前のことに集中したいですね。
たとえば、文章を書くことやプログラミングなど。これも頭の中で大きなパズルを構築するような作業。あるいは、ゲームのよな仕組みにした仕事。目の前のことにかなり集中できます。
そして体感時間が短くも密度の濃いアウトプットができる。結果的に、1年が短く感じても2年前が遠くに感じる現象になる。これを組織全体で密度高く実践しているのが今なのでしょう。
理想組織では1年が短く感じて、2年前が遠く感じる。いわゆる、光速に近いスピードでは時間が止まる、相対性理論のようなことが起きるようです。