【後で読む】「説得スイッチ」が入って人を変えたくなってしまったとき
おはようございます。
今日は今週一番の冷え込みとの予報。マフラーと二重手袋で防寒。
外に出ると覚悟していましたがそれほど体感温度が低くありません。
駅までのウォーキングで軽く汗ばむくらいでした。
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「説得スイッチ」ってありますよね。
なんだかとても人を説得してみたくなるスイッチのことです。お酒が入って説教臭くなるモードとして出ることもあるでしょう。そもそもなんでそんなスイッチがあるのでしょうか。
発生するメカニズムは次の段階を踏むのでしょう。
・ある人の行動や言動を見る。
・それがおかしいと感じる。
・きっとその人の価値観が間違っているのだろうと考える。
・一方、自分の価値観は「正しい」と思う。
・だからその人に自分の「正しい」価値観を教えてあげて変わってもらいたい。
・その結果、その人の行動や言動が変わって、「正しい」行動や言動をしてもらいたい。
・よし、行動を起こそう。
それで「説得スイッチ」が入ってしまうのです。
ところが、人の価値観は千差万別です。育った環境、親の価値観、接している文化。それぞれが異なれば倫理感や道徳感ですら違ってきます。
その中でそれぞれが主張する「正しい」価値観などというものは、元々すり合わせが難しいものなのです。つまり、いくら自分が「説得スイッチ」を入れても、相手がそれによって変わるということは無いと思った方がいいです。
それでも共同生活をしていく必要があるわけです。お互いにおかしいと思う行動や言動を許容しあうのは辛いです。それなので気が付いてもらいたい。それなので何とかしたい。そこで、話し合いが必要になってくるわけです。
ここでさらなる注意が必要です。
2000年の起業当初のことです。うちではメーリングリストで意見交換をしていました。そこでこの手の「正しい」価値観についての意見交換をするようなこともあったのです。ところが、必ずと言っていいほどそれは次第におかしな方向へと進んでいきました。
夜間に煮詰まった状態で書かれるメールに恐ろしい表現が入ったりしていました。感情をえぐるようなやりとりへと変質していくこともありました。顔を合わせれば何でもないことが、文面だと極端な表現へと変質していくものなのです。
そもそも、いくら「説得スイッチ」を入れたところで、相手が変わることはない前提。せめて相手の反射的な息遣いや感情が汲み取れる中でやるべきでしょう。電話をする。せめてウェブカメラ越しでする。文章でこんがらがったことも、会って話せばあまりに簡単なことで驚くこともしばしばありました。
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それでも変わってもらいたいときには相手に気付いてもうしかないです。
回り道ですが、自分で信じることをひたむきにやるしかないです。
その姿を見たこと、知ったことによる納得や感動でしか、人は変わりません。
ついつい「説得スイッチ」が入って人を変えたいと思ってしまったら、そもそもできないことをやろうとしているのだと考えるのが賢明でしょう。