電話を取らないタイ人従業員の思考を想像してみた
★おいしいタイ料理のお店があります。どの品物をとっても630円先払い。有楽町のガード下。ところがそこに働く人に品質のムラがあったりするので皮肉なものです。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130102/13004050/dtlrvwlst/1191146/
「あろいなたべた」有楽町店。
【朝メール】20080523より__
===ほぼ毎朝エッセー===
□□電話を取らないのはなぜ?
昨晩は夕方から東レ・デュポンで愛知県の東海工場のいた頃の、開発技術者仲間との呑みでした。かれこれ10年以上も前の仲間たちです。その集合場所、有楽町の北側ガード下にあるタイ料理店に、集合時間に遅れながらも走って行きます。お店に入って懐かしい顔を期待しながらぐるりと一周見回します。誰もいません。
「ん?きっと何か問題が発生して遅れているのだな」
そう考え、とりあえず席を4人分確保して陣取ります。待つこと20分、さすがに集合時間から50分近く経っています。ふと、連絡を取ろうとし携帯電話に手をやります。すると久々の集いということもあり、近頃にしては珍しくお互いの携帯電話番号を知らないことに気がつきました。面白いものです。事実関係は変わらねど、連絡が取れないことは漠然とした不安感を強めます。そして同時に、その感覚にある種の懐かしさを思い出したりもしました。
「携帯電話の無かった頃はこんなの日常茶飯事だったな。。」
そんなことを懐かしみながらも、何とか連絡が取れないものかと考えます。
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しばらくするとお店に電話がかかってきます。
「お、きっと、向こうも携帯番号を知らないのに気がついてお店に電話をかけてきているのだな。」
そう思いながら電話をお店の人が取るのを待ちます。するとそのタイ料理店、本場のタイから進出してきていることもあり、店員も皆タイ人です。待てど暮らせど電話を取る気配はありません。電話の近くを通る人もまるで「それは自分の仕事ではないです。」といった無表情さで横を通り過ぎるのです。
「タイ文化とはこんなものか」
お店の料理の味とガード下の雰囲気はいいものの、そこの店員さんたちのサービスレベルの低さにあきれてしまいます。思わず電話に走って行って取ってしまおうかという衝動に駆られながらも、そこは一歩引いてお店の人たちの様子を観察します。別な人が通りかかりちょっと期待が高まりますが、だめです。相変わらず目が電話を無視しています。
いろいろな考えが頭を巡ります。きっと、電話を取りでもしたら、苦手な日本語で、たとえばお店の場所を説明することを強要されるのが嫌なのかもしれません。確かにそのお店は予約もデリバーもしないので、電話でかかってくることといえばいつもビジネスに直結しない厄介ごとなのかもしれません。
20回ほど鳴った電話はそのまま切れてしまいました。
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さて、人のふり見て我がふり直す、です。自分の仕事のやりかたでも、このように見て見ぬふりをしてしまっていることは無いだろうか、胸に手を当てて反省してみます。たくさんのフレーズが頭を巡ります。
「それは自分には関係ないな。彼の担当でしょ。」
「あれは苦手な分野だからね、避けて通ってしまうかな。」
「そういうことは、得意な人にやってもらえばいいのですよ。」
「あなた、専門家でしょ?」
「あ、社内に確認してみますね。」
「プログラム的なことはよくわからないので。。」
「あれは自分の担当ではないので。」
「他のことやる余裕無いからね。」
「日本語書くの苦手なんで。」
「英語だめなんですよ。」
「おいおい、そんなこと自分に聞かないでくれよぉ。」
「細かいこと苦手なんですねぇ。」
タイ人の店員さんたちもきっと電話を取るということが「自分の仕事」として認識されていないのでしょう。でもそれを不便にやきもきと見守っている人もいたりしたのです。その場所をよくしようという主体性がない、他人事である、そういった類のことは、傍目八目(おかめはちもく※)、傍から見る方がよく見えるものですね。
(※横から碁の対決を見ている人は八手先まで読めるということをもじった言葉)
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さて、次の手段です。携帯電話で東レ・デュポンにいる人のメールアドレスを検索してみて、彼らの携帯電話番号を知らないか聞いてみます。運良く一人の電話番号をすぐに教えてもらえました。リモートアクセス、大活躍です。ようやく連絡が取れます。
東海工場のメンバーたち、有楽町駅の北側にあるガード下だと説明していたにも関わらず、南側のマリオン側の方を探し回っていたそうです。最後は交番に聞いたと、何とか無事に現れました。
まあ、詳しくない土地に行けば自分も同じ事をやってしまうかもしれません。インターネットのURLを連絡しておくだけではなく、もう少し丁寧に連絡しておけばよかったとちょっと反省しながらも、ようやく懐かしい顔が集合です。
東海工場にいた頃、当時は自分も30代半ば、彼らはそれよりも若かったわけです。昨晩なども、自分たちの意識としては「若手技術者の集い」なのですが、実際にはそのときからそれぞれ10年ほどスライドしてしています。昔一緒に仕事をした人たちと集まるというのは、大変な時期を切り抜けた、そんな同志感覚もあり、それはそれでとても楽しいひとときであったりしますね。