製品開発において背伸びは必然、でもどこまで?
★ペーパーウェア:技術力を担保にした約束
【朝メール】20080718より__
===ほぼ毎朝エッセー===
□□虚勢と実勢
20年以上前、マイクロソフトが社員数10人とか20人でBASICやFORTRANなどのプログラム言語を世界の多数の企業向けに売っていた時代のエピソードです
以下「帝王ビル・ゲイツの誕生(上)」より引用==>
転職する前、スティーブ・スミスはポートランドのテクトロニクス社で、マイクロソフトに<PASCALコンパイラ>を開発させる仕事を担当していた。何という驚き!「テクトロニクス社からマイクロソフトに移ると、<PASCAL>ができていないどころか、彼らはその企画を実際に計画さえしていなかったのだ。だから私は初めてペーパーウェア(名前だけで、実際には存在しない幻の製品)を買うという経験をしたわけだ」
-やがて使われるようになる新造語だが、この言葉が生まれるにあたって、ビル・ゲイツが主役を演じることになる-
「そこで不意に立場が変わり、私を首にしたばかりの相手に、今度は私が幻の製品を引き渡す羽目になった」
スティーブ・スミスはすぐさま、それがビル・ゲイツのビジネスのやり方なのだと知った。「我々は約束を売っても、尻尾を出さずにすんでいた。資金があり、頭の切れる技術陣がいて、仕事に専念したからだ。我々が売ったものはほぼ全て、売った時点では製品になっていなかった。我々は約束を売ったのだ」
<==以上引用終わり
ペーパーウェアという単語はその後の俗称になるほど有名でした。「Microsoftの製品はVer3までは使い物にならない」とも言われていました。初期版のWindowsやWord/Excelなど含め、その後も先にリリースだけしておいて実は完成してないという状況を繰り返していました。
非難するのは易しいけど、大きくなったのは、背伸びをしていたからこそです。会社にも人間にも背伸びが必要です。背伸びをしなければ成長しません。同じところにとどまってしまっているのではすぐに陳腐化してしまします。プログラム製品開発のひとつの宿命なのでしょうか。でもどこまでの背伸びが許されるのでしょうか。
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CACHATTOは2002年5月、パワーポイント上だけに存在しているシステムでした。それを元にお客様を何十社も廻って、買ってもらえそうなのかどうかを聞いて、手ごたえが感じられたので、夏にインドに18名くらいの大チームを構成して開発着手、秋にはα版リリース、2003年1月に発売を開始しました。
2003年1月当初のものは、ファイアウォールを変更せずにPOPメールを携帯電話で読み書きできるという製品です。単なるリモートアクセスではなく、「売り」は過去のメールを検索できることと、新着メール通知機能が実装されているというものです。何とかお客様に試験的にでも使ってもらおうと、当初はヤマトシステム開発やパナソニックCCソリューションズ、日本HPなどの実環境に入れさせてもらい、フィードバックをいただいていました。
入れるたびにトラブルを発生し、プログラムは穴だらけです。インドでの開発チームマネジメントがうまくできていなかったがゆえの悲惨なクオリティです。お客様の現場でプログラムを書き直して再コンパイルして何とか動かす、そんなことは日常茶飯事でした。お客さまでのある若い担当者から、「この程度のものだったら自分一人でも3ヶ月くらいで作れますよ。」と言われて、ずいぶんと悔しい思いもします。できていることと実態に大きく乖離があったのです。
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そこから、なんとも大きく変わりました。機能も沢山加わりました。品質も見違えるようになりました。自分たちがペーパーウェア会社だった頃から6年も経っているわけですから。今は基幹になる仕組みがしっかりとしていて、その上に様々な部品をロジカルに組み込んでいます。
ただ一方、だんだんと変化への追従の動きが重くなってきています。当然です。できることはシンプルに見えるのですが、裏で動いているモノは大きく複雑なものになっているからです。一方、携帯端末の変化などからみてもわかるように、この分野はまだまだ急速に変化をしています。そこに、だんだんと戦艦のように重くなった本体で出向いたらどうなってしまうでしょう。
虚勢と実勢のバランス、拙速と創り込みのバランス、難しいけど必要です。ベンチャー企業に必要な背伸びのレベルもあります。虚勢を張るほどのものなのか、それとも、足のついた実勢をレベルのものなのかです。嘘をついてはいけません。破綻をしないように背伸びをして、なんとか物事をつなげていく、それも、いまある陣容で、最大限に進めていく。実勢をかんがみて、徹底的に知恵を絞って背伸びするということが要求されています。