「自分をあきらめない」の薦め
★「技術者じゃないのでよく分かりません…」と、メンタルブロックの言い訳に埋もれてしまったりしていませんか?
【朝メール】20080730より__
===ほぼ毎朝エッセー===
□□自分をあきらめない
物事は未知のことだらけです。だから必ず行き詰まります。でもそこで、自分をあきらめていない人は、ヒントをどこかしらから見つけてきてブレイクスルーにつなげます。そしてそのブレイクスルーは大きな快感をもたらします。
ブレイクスルーの快感が体験できるから努力するのだし、より難しい問題ほど快感が強く体験でき、より大きな喜びになります。ブレイクスルーは次の行き詰まりへのプレリュードなわけで、難しいことにチャレンジしている人は、どんどん高度なことができていくようになります。
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自信が持てないことについて、控えめに表現する人がいます。一方、ちょっと聞きかじっただけでも、その分野の専門家のような履歴書を書いてくるような人もいます。日本文化では控えめな表現が尊ばれるので、控えめに表現する人が尊ばれます。一つの美学です。ところが控えめが高じてくると、次のような言葉にもつながります。
「自分は文章書くの下手だから…」
「お客さんと話すのは自信ないです…」
「技術的なことならいいけど、営業的なことは知らないし…」
「技術者じゃないのでよく分かりません…」
「整理整頓が下手で…」
「会社の方針が違っていて…」
「テレアポはどうにも苦手で…」
「カラオケ、だめなんです…」
いわゆる「自分の限界を自分が決めてしまっている」自らのメンタルブロックにはまってしまうのです。「自分が自分が」としゃしゃり出ることは必要ありませんが、控えめとか謙虚といった美学の後ろに、メンタルブロックがいつの間にか忍び込む作用があることを知っておいた方がいいです。
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人は生まれたときは何もできず、母親とかがそれこそ丁寧に丁寧に生かしてくれて、少しずつ育ちます。物事が最初からできているということはありえないのです。必ず、ゼロからスタートして、それが徐々に上手になっていくという過程を踏みます。
徐々に上手になっていくという過程において、教育が果たす役割はとても大きいです。特に子供の成長を見ていると実感します。上手になるための手ほどきを適宜的確に行う、そのことで物事のスキルレベルは格段に上がります。物事の見方、考え方、アプローチの手順、練習や準備の仕方、整理整頓の方法、などなど、さまざまなことが教えられます。
多くの場合、それらは自分だけでは気づけないようなヒントです。ちょっとしたヒントがあるだけで「あっ、そうだったのか」とブレイクスルーを体験できます。またしばらくすると行き詰まって考えて、どこかに転がっているヒントに気がつき次のブレイクスルーに行くのです。このプロセス全体が教育の本質なのでしょう。
つまり、教育とは、ある方向に進みたいという意志に基づき、自らの工夫を凝らしていくが、行き詰まる、そこにヒントを見つけ出してブレイクスルーを体験するというプロセスそのもののようです。だから生涯教育はすぐ隣にあるものです。
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ところが、控えめにしようとの美学からいつの間にか忍び込むメンタルブロックがあると、ブレイクスルーに至るまでの過程に必要な努力を怠ってしまいます。自分をあきらめてしまうからです。
自分をあきらめない、このことが生きていくエネルギーです。そのために教育も受けるし、自分でヒントを探す自己教育もするのです。難しい問題に取り組んで、打ちのめされたパンチドランカーのようになりつつも、その先にある「霧の晴れ渡る体験がしたい!」を信じられるかです。
自分をあきらめてしまってないか、メンタルブロックをかけてしまっていないか、そんな自問自答をしてみはいかがでしょうか。せっかく生きているのだから、色々と体験しておきたいですからね!
★このオルタナブログも自分にとって全くの未知分野でした。もともとあまりブログを読む習慣すらも持っていなかったのです。それが、昨年の9月にITmediaの番長さんと山田さんに勧められ、ポンと肩を押された形でブログデビューとなりました。面白いブログを書くクリエーターたちに写真を並べて、果たして自分に何ができるのだろうか、大いに疑問もありました。そんなときにも、このメンタルブロックの存在を自問自答、自分の中の第三者的な視点で見ていたことは、大きな助けになりました。やってみると、わからないことだらけですが、他の人の考えにも触れることができるし、自分の考え方を知らない人たちが読んでくれているという楽しみにもつながりました!