愛情に対しては裏切ることができる、のが人
★人は、恐怖と愛情とが目の前にあったときには、「恐怖に対しては裏切ることができず、愛情に対しては裏切ることができる」のです。
【朝メール】20080611より__
===ほぼ毎朝エッセー===
□□恐怖による統制と信頼による統制
西村さんのコメントを引用します。
以下引用==>
他業界(漫画業界)に限らず、自分の業界というか身の回りでもたまにある話ですが、「目下の人間に酷い扱いをする(いばる、いじめる、罵声をあびせる)」タイプの人間、「自分の力を誇示する、自分の影響力を誇示する」タイプの人間は一貫して嫌いです。
仮にそれが本人の為になる/教育の為だみたいな理由をつけられようと、それに効果があろうとなかろうと嫌いです。そういう意味では現在のe-Janの環境は恵まれているのだと思います。
<==以上引用終わり
そのようなタイプの動きをするのは、人を動かすのに恐怖を用いると統制がしやすいからなのですね。人間の本質を利用しているのです。上下関係を作ることで恐怖を人工的に作りだしているのです。
マキャベリ語録集を読んでいて思ったのですが、そこに明確に示されていたのが次のようなコンセプトです。人は、恐怖と愛情とが目の前にあったときには、恐怖に対しては裏切ることができず、愛情に対しては裏切ることができる、そういう選択をするというのです。
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確かに目の前に恐怖を突きつけられるとそちらを優先して回避しますよね。体罰は怖いですよね。もう一つ、怖い思いをすると火事場の馬鹿力が効くということもあります。怒ったことを示すことで周りが動いた、そんな原始体験を持っている人はとかくその力を利用するようになっていきます。憎まれっ子世にはばかるです。怖いお客様の仕事を優先したりしてしまっていますよね。怖い人の言うことを優先してしまっていますよね。
一方、愛情に対しては、受けていても気がつかないでいたり、taken for granted (そこにあって当然なもの)というとらえ方をしたりします。直接痛い目に合うことと比較すると、軽視したりしてしまいます。いつの間にか甘えてしまうのですね。静かなお客様の仕事はプライオリティを下げてしまっていませんか?優しい人には「ごめん」と目をつぶって、心の中で裏切ったりしますよね。
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「恐怖による統制」ではない、いわば「信頼での統制」はとても難しいのです。
自分を含めて、組織の甘えとの戦いになってしまうからです。そう、その甘えを排除するのに恐怖はとても効果的です。信頼の中では甘えが、気がつかずに増長されてしまいます。
「恐怖による統制」を選ばないのであれば、個人個人の「甘えの制御」、これを理性的な考え行動で確立することが必須になってくるわけです。自分も「恐怖による統制」は嫌いです。それなので「信頼による統制」を、難しいこととは知りつつ、チャレンジし続けているのです。
「信頼による統制」は、甘えという要素の制御を理性的にできるのであれば、「恐怖による統制」よりも、確実に大きな成功に達することができる方法だと信じています。もちろん、それには蛮勇とも言えるくらいの猛烈な勇気で、その姿を継続することが必要です。インドで無抵抗主義を貫いたガンジーの勇気がどれほどすごかったかということ、その姿勢には畏敬の念さえ覚えます。
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恐怖がない、ということは、甘えを自発的に消していくということができる個人個人であるということが前提です。だから目の前にある仕事をかっちりとやることが大切なのです。「仕事は甘え排除のトレーニングだ」と、そんなことにまで思えます。自分のプライドとブランドとをその仕事に貼り付ける感じです。甘えの要素がそこにあったら、仕事はぱりっと仕上がりません。
約束を守る、仕事を広げる、一つ一つの小さな決断と実行が甘えのとの戦いなのです。「甘えがある」ということには気づかせてもらったり、指摘してもらったら「ありがたいことだ」と、それを感情的にとらえないということがポイントだったりもしますね。
★理想組織は「信頼による統制」×「甘えの排除」 の上に成り立ちます。