ため息には二種類あり、その片方は危険かも
★ため息が出る場合分けをしてみました。
【朝メール】20080415より__
==ほぼ毎朝エッセー===
□□絶対的価値観と相対的価値観
自分は自分の人生の主人公です。そして、その主人公として、せっかく生まれてきたのだからなるべくいい生き方をしたいと思うのは自然です。いや、なるべくいい生き方をするのがこの世に生をくれた、この世界への恩返しといえるくらい大切なことでしょう。ところがなぜだかふと、ため息をつくような状況にめぐり合うことがあります。きっとどこかに不満の要素があるのでしょう。面白いことに、ため息には二種類あります。今朝はそれについて。
本来であれば、充実した時間が過ごせる。それにより自分が納得できる成果が出せる。それを根拠にさらに頑張れる。あるいは失敗する危惧があるような状況から、皆で力をあわせて脱出してそれを喜び合う。そういったようなことで満足感が得られるはずです。いわゆる絶対的価値観です。自分の基準を自分で持っているのです。
一方、人がいい家に住んでいるから自分も住みたい。同期と昇進や賞与が早いとか遅いとか喜んだり落ち込む。家族がどこの大学に行ったとか、どこの会社に勤めているとか、どの地域に住んでいるとか、車のナンバーがどこだとか。他との比較で価値を見出していることもあります。いわゆる相対的価値観です。基準を他人との比較や他者からの評価に持っているのです。
この絶対的価値観と相対的価値観は、個人個人がそれぞれ一定の割合で持っています。絶対的価値観が強めでマイペースのように見える人がいる一方で、相対的価値観が強めでグループが好きに見える人もいます。絶対的価値観が強めに教育されているような文化がある一方で、相対的価値観が強要される社会もあります。人それぞれがそれらのブレンドです。
そして、絶対的価値観と相対的価値観からそれぞれ、満足と不満を覚えるようにできています。いつもの4事象で考えてみましょう。
(1) 絶対的価値観で満足を覚えるとき
(2) 絶対的価値観で不満を覚えるとき
(3) 相対的価値観で満足を覚えるとき
(4) 相対的価値観で不満を覚えるとき
そのときの状況を列記してみます。
(1) 絶対的価値観で満足を覚えるとき
→自分の基準で自分が満足・充足
(2) 絶対的価値観で不満を覚えるとき
→力不足・機会の悪さ
(3) 相対的価値観で満足を覚えるとき
→誉められる・讃えられる・格下が必要(格差)
(4) 相対的価値観で不満を覚えるとき
→あこがれ・嫉妬
ため息は、軽い深呼吸なのかあくびなのか、体内に蓄積された二酸化炭素を効率的に外に出して新鮮な酸素を取り込みたいという、無意識の欲求からつきます。(ため息をつく姿を見せて同情してもらおうという意図を持っている人もいますね。) ふとため息をついたときには、きっとどこかに不満の要素があるのでしょう。リセットしたいと考えているのです。そのときにそれがどこから来ているのかを考えてみるのです。そう、ため息は不満に付随するので、(2)か(4)のどちらかから発生しています。
(4)でついているため息は解消が簡単です。時代を少しタイムスリップしてみればいいのです。例えば戦時中。今の恵まれた状態を感謝できるだけで、考え方で制御することができるわけです。いわゆる物欲の制御です。(2)でついているため息は要注意です。自分の基準に照らし合わせ、いわゆる自分への諦めを容認するため息だったりすると、そこで個人の進化が止まります。
さて、いまついたため息、どちらでしたか!?
(2)であれば要注意!(4)であれば考えを変えれば治ります。