「お客様のため」とが実は「自分たちのため」
★やらされていると思っていることにもしかしたら自分たちのための一番のヒントが入っているかも知れません。
【朝メール】20090629より__
==ほぼ毎朝エッセー===
□□「人のため」「自分のため」
「人のため」にと思っていることが実は「自分のため」にだったりする、こういうことは多いです。あまりによく遭遇するので、もしかして他人と自分が別れていると見えているのが、実は皆、裏ではつながっていて、単なる幻想ではないかとすら思えたりします。
体が別れているから思いの大部分をうまく伝えることができずにいて、それぞれに別な感情を覚えるのです。その感情を覚えることがひとつの体験として貴重なものと捕らえるのです。
そう考えると、例えば他人に対して怒りを覚えたときも、それは、そういう感情が何かのサインを伝えているだけで、その人自体には全く関係のないことだと考えることもできます。怪我をしたときに痛みを感じるのと同じであり、痛みから体をいたわろうとする効果と同じで、怒りとかを覚えること自体が、単なる情報であるのかも知れません。そう考えるとすぐさまに怒りとかは消えて行ったりします。
仕事でも何でも、人に対してあせりとかを覚えたりすることもありますが、それは、別な何かを意味するサインであって、それに対して何かを、まるで「自分のため」のようにできることが、実は「人のため」ではなく、自分に返ってくることそのものだったりするのかも知れません。
お客様と自分たちとが別れてはいますが、「お客様のため」とやっていることが「自分たちのため」だったりするのはまさにそのことだと思います。製品の改良が、たとえしかられながらのお客様からの要望であったとしても、それを実施することで、実はそれが「自分たちのため」になっていると思いませんか?