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ビジネスモバイルITベンチャー実録【朝メール】から抜粋します

国際的であるということ

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★フェアな平等性が根底に流れる概念なのだと思います。

【朝メール】20090828より__

==ほぼ毎朝エッセー===

□□国際的であるということ

この夏前からの学生インターン募集や新卒面接などを通じて、この会社が自分たちで思っている以上に「国際的な会社」であるという見え方をしているのだということがわかりました。なんだか嬉しいような気もします。

前の朝メールにも記載したことがあると思うのですが、TOEIC900点以上がザラ、800点は当たり前というような優秀な学生さんたちが面接にやってきます。近頃はTOEICがやさしくなったのかと思ってしまうほどですが、何らかのフィルターがかかり、明らかに国際志向の人々が興味を持って集まってきてくれているようです。「いいじゃん」なんて、まるで日本語なのですけどね。

では国際的な雰囲気をかもし出しているのは何なのでしょうか?そこに自分は自分なりの答えを持っています。そして、今後もここではその文化を大切に育んでいくことを皆にもお願いしたいと思っています。

国際的であるということは、英語がうまいということではなく、その根底に流れる平等意識にあると思います。そして、その平等意識を正常に発揮することが特に求められます。国際的な平等意識と言ってもいきなりはわかりづらいかも知れないので、日本でよく目立つ現象の中でも、自分が不思議だと思うことを羅列してみます。

・与えられた仕事に上下があると考える。
・年齢が上だと人間的にも上だと考える。
・立場が上になると自分が偉いと考える。
・「女の子」は事務職と雑用をやるべきだと考える。
・それらの考えが態度に出る。
  「○×く~ん、あ、ちみちみ、ちょっとこれやっといて」ポン。
・年下に敬語が使えない。
・役職が一段上がるとふんぞり返り角度が5度上がる。
・上司がいる前といない前とで態度や言うことが変わる。

それらが端的に現れるのがパワハラとセクハラですね。これは実にみっともないです。パワハラ・セクハラは国を問わずにあるので、これは、人間の本能的な傾向として存在しているのですが、平等意識を欠くことは、politically incorrectであるとして公に戒めたりします。

年齢が上なのがえらいのではなく、今までどれくらいのことをやってきているのか、これからどれくらいのことをこれからやれるのかという、人生トータルの成果でものごとを見れば、年上であるということは全く偉いことではなく、馬齢を重ねたということで恥ずかしくもあることなわけです。だから、年齢を根拠に威張っていいことにはならないのです。

役職が上だからえらいのではなく、今までどういう仕事をやってきて、これから今の仕事にどれくらいのことがやれるのかという、仕事経歴のトータルの成果でものごとを見れば、役職が上であるということは、すでに、例えば転職してゼロからやり直す選択肢が少ないということからも全く偉いことではないのです。単にその役割をやっている。

男女間でもそうです。単に物理的な力が強い男性が、自分は偉いと思い込み、まるで類人猿世界での現象をそのまま引きずった意識から、それを仕事上でも能力の上下と勘違いしてしまうのです。この先、どれだけ女性を含めた皆の能力を活用できるかで、会社の存続だって左右されます。逆に女性だからといって、妙に甘えの意識が強く、人に頼る癖をもっていたり、途中で放り投げたりするのは、許されません。これは逆のセクハラです。

自分たちはそういった世界とは決別するように心がけて来ています。そして、もしかしたらその文化がいつの間にか少しずつ醸成されていて、それが面接にくる人たちに国際性という見え方をしているのかも知れません。

あえて、皆で「さん」付けで呼び合い敬語を使っているのはこういう思いがあるからです。立場の上下だって、仕事の都合ですぐに逆転することもあります。それでその人の価値が上がったり下がったりするものではないですよね。そのときに呼び方を変えたりするのは、やはりみっともないことですから。ここでは、ひとりひとり、その人を平等に見ているように心がけています。

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