安定と変化の割合はどれくらいがいいか?
【朝メール】20070417より
□□安定と変化の割合 (2007年4月17日)
昨日、東レシステムセンターの宮地さんという人がきました。明日の大阪での営業委員会、その前の調整のためです。30過ぎくらいの人でしょうか。しっかりと目線を合わせて話しをすることが印象的なまじめそうな青年です。彼が手土産にと持ってきていたTSCの季刊誌、(前号にCACHATTOを紹介してもらったあの季刊誌ですね、)に掲載されていたビル・トッテン社長のインタビュー、そのある一部にふと気を取られました。
「私は、変化と安定のバランスが大事であり、変化をゼロにすべきとは考えていません。要は、9割の安定と1割の変化があれば良いと思います。それが逆転すると社員が不安を感じ、極論するとノイローゼになってしまいます。」
それを見て、e-Janの立ち上げから安定と変化の割合について何が起きていたか、そんなことに大きなヒントをもらえたような気がし、思わずフラッシュバックしてしまいました。
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立ち上げ当初です。大企業からスピンオフするにはかなりのエネルギーを要していたのだと思います。それなので勢い余って「ベンチャーたるもの変化し続けなければいけない!」と、そんな闇雲な信念を持っていました。
必然的に「変化を求め、旧来のものを否定し、何もかもを新しい概念、新しい手法、それも独自のもので遂行する技術会社がe-Janである!」と、こんなことを信じていた期間が続いたのです。実感としては安定:変化は1:9くらいだったでしょうか。きっとそのときに周りの人々には、我々の強烈にエネルギッシュな面が感じられていたのだと思います。そんなことに気をよくしていた時代もありました。
ところが、変化の割合が多く、それは耐え難い不安を生んでいたのだということに上記のフレーズから気が付きました。実際に社員一人一人に何が起きていたかというと、自分自信がノイローゼになってしまうとか、ノイローゼにならないように攻撃性をもつとか、あるいは感情をブロックして擬似的自閉症になり何も主体的に考えないようにするとか、様々な方法でこの不安と戦っていたのだと思います。
「品質の安定化、きっちりとした経理処理、明確な目標、そんなことが旧来の手法だとしてもやはり必要だ」と、心底思い始めたのは起業してから2年程も時間がたってしまってからです。そして、その思いは徐々に大きくなりつつもなかなか当初につけてしまった勢いは軌道修正できずにいたのです。
安定:変化が3:7くらいになった頃でしょうか、自分でも不安に耐えかねていて『やる気』がなくなってしまっていたことに気が付きました。きっとそれが理由で【朝メール】を2004年頭から始めたのだと思います。「自分の安定性に対する考えを関係者と共有したい」と、強く願っていていわゆる自分を励ますためのツールとして始めたのかも知れません。
変化は徐々に現れてきます。それから1年も経った頃でしょうか、2005年の今頃、安定:変化は5:5になました。今からみれば、そのときから製品が大きく発展する土台ができたのだといえます。安定を元に製品開発を再スタートし、なるべくやることがぶれないように気を使った時期でもあります。ただ実績としての結果はすぐには出ません。そのトンネルは必ず抜けられるのだと、そう信じて真っ暗な中真っ直ぐ進んだ日々は続きます。
実績が伴ってくるのは我々にとっての何よりもの励みです。そして現在のところ、安定:変化は7:3くらいになったくらいでしょうか。実際のところ、ビジネスとしての仕組みはまだまだヨチヨチ歩きなので、それを固めていく課程にあると思っています。ビル・トッテン氏の言う9:1ほどのところまで行くのがいいのかどうかは自分はまだ分かりません。逆に大企業病はこの9:1が行き過ぎるとあるのでしょうか。確かに大企業では数%レベルの変化を拒否することもよくあります。
どの数字がいいのか、どのような測定をするのかということにはまだ考察が足りませんが、安定と変化とがあるとすれば、安定がマジョリティを占める状態であるのがチームワークにとって健全なもののようです。そのためのツールとしてルール化、標準化、工学化、論理化、見える化、数値化、予算化、目標化、明文化、マニュアル化、ドキュメント化、ルーチン化、などなど、様々な知恵があるのですね。