戦後70年、再び上昇できるか?
戦後70年という節目の年を迎えて、盛んに政治経済分野を中心にして、世の中の目にするもので特集が組まれています。
そんな中、今回の拙ブログでは以前も推奨した日経新聞の"経済教室"コーナーに掲載された中から、至極の一説をご紹介したいと思います。
今井賢一スタンフォード大学名誉シニアフェローからの寄稿文です。
「戦後70年の経済的論議には2つの"忘れ物"があったということであり、その忘れ物のなかに、問題をとく重要な鍵があるということである。」
「第一の忘れ物は自然資本である。自然資本とは、森林資源、農地、水産資源等の価値を資本として把握する用語である。国連大学の報告書が網羅した20ヶ国の中で、日本は持続可能な経路にあることがわかり、自然資本がプラスに成長した数少ない国の1つなのだ。」
「いま仮に、人間能力の10億倍の能力を持つ人口知能が出現したら、その人口知能は、生態系のような非定型の性質をもつ自然資本を形成してゆくことに役立つのだろうか。」
「どう考えても、人口知能が自然資本を形成していくことは不可能だと考えざるをえない。」
「この種のプロセスを人口知能によって開拓することには無理があるといわぜるをえない。」
「私は自然資本の概念を重視し、それを慎重に発展させたいと考える。」
「かつての英国のように自然は制服すべきものだと考えると、自然資本の成長率は極度のマイナスになるのである。」
「第二の忘れ物は、国際的な不安定性にかかわる宗教問題である。」
「現在の日本の社会では、先祖を末永く墓に祀り、自分も死後、一族と生きている孫たちとの仮想的な交流を夢見るという死後の世界を想定することが困難になっている。」
「実際問題として墓参りは形骸化している。この地球の上で自分は何をしたのか、いかなる人生であったのかを考える暇もなく、定型的に儀式は終わってゆく。」
「注目したいのは大げさにいうと、西洋文明に起源をもつ現代文明の行き詰まりをいかに打開するかという思想的基盤との関係である。」
「キリスト教と資本主義が結びついた西洋文明が世界の中心であったことは間違いないが、人類文化という視点からは、人間と天上の神のみを見る思想には限界がある。」
「最近、梅原猛先生が人類哲学序説で述べられているように、草や木も動物も人間と同じように扱う思想が必要なのであり、そこに自然資本と宗教が結びつく思想が生まれる。」
「"大夢カプセル"(生前に自分史を書くという活動)の革新的精神はこれを受け継ぎ、どのような宗教、どのような宗派をも受け入れる試みなのである。」
「このような実践を進めていくことが、宗教的対立に基づく国際的不安定に関する日本のスタンスを示すことになろう。」
いかがですか、
非常に質の高い講義を聴くことができた、という満ち足りた気持ちになってきませんか?