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なぜエンジニアに喧嘩を売るようなタイトルか?あるいは経営とエンジニアの分断について

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ツイッターを眺めていたら、見覚えのある表紙が。

どなたか分かりませんが、どっちかの本を見かけて、著者の別の本も検索して・・と、ありがたいことです。
もちろんこのタイトルから、エンジニアに対する敵対的な(侮蔑的な?)匂いを感じ取ったんだと思います。まあ、そりゃそうですよね。そういうタイトルです。

このツイートへのリプライ欄も見てみると、

・左側の本は読んだことありますが良い本でした。たぶん個人的な恨みではなく編集者側のマーケティングではないかと思っております

・タイトルは半分釣りですが、内容はまともで良書ですよ

・この本、本当に面白いからもっと多くの人に読んでほしいなぁ(私が読んだのは会社のITはエンジニアに任せるなの方)描きっぷりにも著書の方の人柄が表れていて面白い

・恐らく「無茶苦茶な要件やめてくれ」「そっちで考えなきゃいけない事までこっちに丸投げすんのやめろ」を最大限「向こう側目線」にしたタイトルなのだと思います
むしろ客からの辛い経験があったエンジニアさんと予測します。

などなど、なぜかこれまた面識のない方々が擁護するようなコメントをたくさん寄せてくださっていて、恐縮します。


元のツイートは「エンジニアに対して相当ツラい経験があったんだなと推測」ということですが、僕は元々エンジニアです。もうずいぶんコーディングはしていませんが、今でも立場として「システムを作る側」に立つこともあります。もちろん「作ってもらう側」とか「作る側と作ってもらう側をつなぐ役割」のこともあります。

じゃあなぜエンジニアに対立するようなタイトルなのかといえば、僕の本の想定読者が「エンジニアではない人」「システムに詳しくない人」だからです。
だからそっちの人目線のタイトルにしている訳です。そうしないと、そういう人に読んでもらえないから。僕自身がどう思っているかは別として。

今一度、僕が本を書く上での大テーマについて語らせて欲しい。
それは・・

・エンジニアではない人がITとかシステムについて理解を深めない限り、ITを経営の武器にできていない、という日本企業の残念な状況から脱出できない。


・ITを使う側(業務担当者や経営者)とエンジニアの間には根深い分断があり、これを埋める必要がある。

その分断は1つ1つのITプロジェクトの現場でも観察できるし、経営レベルでももちろんあります。エンジニアは「経営はITのことわかってくれない」と自分たちのコミュニティのなかでつぶやいているし、経営者はもっとエンジニアリングについて無理解だ。
この状況を何とかするためには、エンジニアではない人たちがITやエンジニアへの理解を深めるしかないのですよ。(エンジニアはすでに十分勉強していて、どっちかというと非エンジニアの方が不勉強だと思っています)

僕が非エンジニア目線のタイトルをつけた本で、非エンジニア向けに、ITのことを理解してもらう本を書いているのは、そういう考え方がベースになっています。

コメント欄で多くの人が擁護してくれているように、中身を読んでもらえれば、上からエンジニアを攻撃するような内容とは真逆のことを書いている、と理解してもらえると信じています。
「分断を埋めて、非エンジニアが主体的にITに関わらないと、経営の武器にできない」を理解する人が一人でも増えるならば、タイトルなんて釣りでも何でもしますよ。
僕自身を揶揄するツイートはこれまでも目にしましたが、それもどうでもいい。


せっかく2つの本を並べてくださったので、それぞれの本がなぜこういうタイトルになったのかについても、書いておきます。
まず「会社のITはエンジニアに任せるな!」ですが、これは身も蓋もない理由です。これ以外のタイトルを出版社が許してくれなかった。僕の美意識にも反します。百歩譲っても「会社の」はいらんだろう・・。

著者である僕自身としては「経営にとってITとは何なのか?」というタイトルにしたかったのです。企画書にもそう書いた。
悪く言えば漠然としたタイトル。良く言えば「骨太の問い」。
読者としての僕は骨太の問いを追求した本が好きです(例えばジャレド・ダイアモンドには「Why Is Sex Fun?」というアレなタイトルの本だってある)。
そもそもこの本は「経営にとってITとは何なのか?」としか言いようのない内容だし。または「なぜあなたの会社はITを武器にできないのか?」とかね。

でも中身と違ってタイトルというのは最終的には出版社が決めるべきものです。
出版というのはミニ投資活動であり、売れ残って赤字になるリスクは著者ではなく出版社が負担する。だから売れ行きを左右するタイトルは最後は出版社が決める。それ自体は合理的だし、仕方ない。

発売前にタイトルについて揉めに揉めたのですが、じつは「会社のITはエンジニアに任せるな!」は僕がこれまで出した5冊のなかで一番売れていない本です。
内容はいいので、もうちょっとマシなタイトルだったらもうちょっと売れたかも・・と思わなくもない。
そうは言っても増刷はしています。半数以上の本が初版止まりなので、まあ、出版社に損はさせていません。僕が考えた元のタイトルだったら初版止まりだったかもしれない。このタイトルのお陰でようやく重版したのかもしれません。本はABテストもできないので、真実は誰にも分からない・・。


一方「システムを作らせる技術」は僕が考えたタイトルなので、命名責任も僕にあります。結構迷いました。偉そうだから。
結局タイトルはそのままにして、なぜこのタイトルにしたのか?という僕らの意図を本に書きました。途中のコラムと「おわりに」の2箇所です。このブログにもそれを掲載しておきましょう。

【コラム】システムを「作らせる」という言い方がエラそうな件
「オレはシステムを作らせる側だ」という言い草はあまりにエラそうなので、普段のプロジェクトでは決して使わない。それどころか「作らせる」という言い方が嫌いですらある。
この章で説明した「システムを作る人」と「作らせる人」はともに1つのプロジェクトに挑む対等なパートナーで、上下関係は一切ない。
「システムを作らせる人」という表現には、「オレは作らせる側だから、金だけ払えばいいんでしょ」「注文したら、後は口を開けて待っていればいい」「提供されたシステムが気に食わなければ、文句を言う」という姿勢が見え隠れする。
この本を読めば読むほど、経営、業務、ITそれぞれが専門家としてプロジェクトに貢献すべきこと、そして「作らせる」という姿勢ではろくなシステムが手に入らないことを理解できるだろう。
とは言え本書のタイトルを「システムを作らせる技術」にしてしまった。「システムを作ってもらう技術」だと、あまりにゴロが悪いから・・。「システムをともにつくる技術」だと、ターゲット読者がボヤけるから・・。
分かってください。



【おわりに】「作らせる人」「作る人」の断絶と、One Team
「システムを作らせる技術」というこの本には、矛盾した主張を込めている。
まずタイトルと冒頭で「システムを作る技術」とは別に「システムを作らせる技術」があることを示した。もちろんその前提として「システムを作る人」とは別に「システムを作らせる人」がいるし、多分あなたはそちら側だし、この本はそちら向けの本である、と。
ところが読み進めていくと「作らせる人であっても、丸投げできない」「作ってくれる人をリスペクトすべき」「作る人と作ってもらう人がOne Teamでプロジェクトにあたらないと、良いシステムは絶対にできないよ」というメッセージばかりが書いてある。

正確に言うと、そんなメッセージではなくもっと具体的な方法論をこれでもかと書いたのだが、その全てが上記のようなスタンスを前提にしてある。元々One Teamでなければ実行できない方法論だし、方法論を愚直にやっていると自然にOne Teamになるような方法論でもある。

つまりタイトルと冒頭では「作らせる人」「作る人」と、あたかも分断するようなことを書いているのに、本の中身はほぼ真逆。
なぜこんなややこしいことになっているかというと、世の中には「オレが欲しいシステムをアイツラに作らせればいいんだ」と思っている人々が厳然として存在しているからです。皮肉なことにそういう人々がいくらカネを払っても、システムを作らせるという態度のままでは、システムをうまく作ってもらえない(これはシステム構築プロジェクトに潜む最大のパラドクスかもしれない)。

だが、そういう人に「One Teamでやらなくちゃダメでしょ」と説教しても伝わらない。「作らせる方法を教えますよ」でなければ届かない。だから作らせる方法を学んでいくと、自然に「ともに作る」というスタンスが身につくような本を書いたわけです。我ながらめんどくさいことをやっている。

書き終えて一つ懸念が残っている。タイトルや冒頭で書いたことは読者に伝わりやすい。一方で「本全体を通じたメッセージ」は伝わりにくい。読者の読解力にかかっている。こんな分厚い本であればなおさらだ。だが内田樹は「書き手にとって最も大事なことは、読み手の読解に対するリスペクトだ」と書いている。わたしもそう思う。通して読んでいただければ、きっと伝わる。

本当は「作らせる人」も、「作る人」もいない。いるのは「プロジェクトを成功させ、会社を良くしたい」ともがく人々だけだ。
このことが皆さんには伝わったでしょうか?




※最近書いている本が「ですます調」で、僕の地の文章は普段のブログと同じ「だ、である調」なので集中するといつの間にか「だ、である」で書いていることに気づく。
ところがこのブログは気づいたときには「ですます」で書いていた。本の癖がこちらに感染ってしまった。使い分けめんどくさい。

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