福利厚生は認知バグを利用した経営ハックに過ぎないこと、あるいは行動経済学のちょっとした応用の話
コロナの前になるが、箱根本箱というブックホテルに泊まって本を書いたことがある。
ブックホテルというのは様々なジャンルの本が部屋や廊下に並んでいて、滞在中読み放題という、本好きにとっては嬉しいところ。僕らが部屋に案内された部屋には「世界史を大きく動かした植物」という本がデンとあって、偶然だと思うけど僕の嗜好にピンポイントで刺しに来たな、と驚いた。
Amazonとは別の種類の読書体験を売りにしているのだろう。実際に、帰りがけに手にとったある本は僕の人生を変えることになった(その話はいつかまたどこかで)。建物も温泉もサービスもイタリアンレストランも最高で、唯一の欠点はべらぼうに高いことかな(僕は印税の経費で泊まれるのです・・)。
このホテル、なんで本をテーマにしているかと言えば、もとは日販(書籍流通王手)の社員向け保養所だったから、ということらしい。流石に時代に合わなくなったので、紆余曲折あった挙げ句にブックホテルに衣替えしたとのこと。
僕は箱根に限らず高原をサイクリングするのが趣味なのだが、日本各地に企業の保養所は無数にある。
で、自転車に乗っている時というのは基本的に頭が暇なのでつらつら考えてしまうのだが、世の中に保養所ほどナンセンスなものはないのではないか。もっと言うと、すべての福利厚生制度は社員の認知バグを利用した経営ハックなのではないか。というのがこのブログで言いたいことだ。
★保養所がなぜナンセンスか
保養所というのは箱根だの蓼科だのの観光地にあって、社員とその家族が格安で泊まれるホテルみたいなところだ。最近は随分減っただろうが、以前はほとんどの大企業が保養所を持っていた(経営に余裕があった時代だったのだろうか・・)。
社員に人気があって、申込後抽選になるケースもあるし、ボロい割にそれほど安くなかったりしてガラガラのケースもある。
でも、どちらにしたってナンセンスだ。保養所が不公平・非効率だからだ。
まず不公平について。
社員といっても趣味は一様ではない。旅行が大好きな人もいれば引きこもりが趣味の人もいる。同じ旅行好きでも海外旅行好きは保養所は使わないし、独り者は保養所を使うメリットが少ない。僕みたいに「旅行は好きだが、保養所の申請をしたりする書類作業が死ぬほど嫌い」という人もいるだろう。
当たり前だが、こういった施設は使う人だけにメリットがある。使わない人だって会社に貢献しているのに、何のメリットもない。僕はこれを不公平だと感じる。
企業が社員に還元するならば、こういうお金の使い方よりも、賞与にして社員に配ったほうが良いのではないか?
そして非効率について。
企業は(小売や飲食などを除き)、休日が決まっていて一斉に休みとなる。そうしないと仕事をする上で不便だからだ。社員が一斉に休むのだから、保養所を使いたい日程も重なる。ゴールデンウィークやお盆は大人気で抽選になるのに、普段の火曜日はガラガラ。
こういうオペレーションは効率が悪いので、普通のホテルに比べると経営上だいぶ不利なはずだ。企業から多額の補填がない限り、安くてよい宿は維持できない。だとしたら、その補填の分を賞与に・・(以下同文)。
この手の非効率さから、保養所を廃止してその分、民間のホテルに安く泊まれるようにする会社も多くなってきた。福利厚生をポイント制にして、ホテルに泊まったら何ポイント消費、みたいなことを管理してくれる会社にアウトソースする方法だ。
だが、保養所よりは随分ましだが、これだって不公平・非効率なのは変わりない。こう言うのを使うのが好きなマメな人だけがメリットを享受するのは不公平だし、入社や退職や給与の変動などを連絡する人事の手間(非効率さ)もばかにならない。
★なぜバカな福利厚生制度が増え続けるのか?
特にベンチャー企業に多いのだが、突飛な福利厚生制度をたくさん作って人を集めようとしたり、PR効果を狙ったりするケースも多い。以前にニュースで見たのは「ワールドカップ休暇」だ。ワールドカップの日本戦がある日は会社が休みになるらしい。
もうバカかと。
僕もサッカー観戦が趣味なので、日韓ワールドカップのときは休んでスタジアムに行ったし、去年はアジアチャンピオンズリーグのために水曜日に韓国まで行った。
でも、そんなの好きに有給使えばいいだけだ。社員にもっと休みをとってもらいたいなら、日数を増やせばいい。新しい制度を作るのは煩雑だし、サッカー観戦以外の趣味を持つ人にとって不公平だ。なぜ休む日を会社に指定されなければならないのだ。ジャニーズの追っかけが趣味の人は推しの公演日に休みたいはずなのに。
しょうもない福利厚生制度は、社員にとって不公平かつメリットが少ない。
それでも、自社の福利厚生制度が充実していることを、飲み会なんかで嬉しそうに語る人は多い。そして、福利厚生制度について質問する就活生も多い。
契約前に条件を確認するのは取引の基本なので(もちろん就職は労働力を売る販売契約である)、質問されたら淡々と答える。もちろんそれを理由に評価を下げたりはしない。
でも答えながらも、かなり不思議な気持ちになる。圧倒的に生活に影響があるのは、給与や賞与の額とか、「稼げる人材に育ててくれるか?」であって、福利厚生なんてそれに比べれば取るに足らないことだ。なんでこの人々はそんなことが気になるのか??
そもそも、世の中には「制度があっても、その制度を極めて活用しづらい会社」が多い。男性であっても育休とることは国が定めた労働者の権利だが、言い出しづらかったり、とった後に不利益を受ける最低な会社もまだまだ多い。だから制度の有無だけ確認したって、その会社に入ってハッピーかどうかは想像しにくい。
僕はここに、認知のバグが潜んでいると思う。つまりこう言うバグだ。
「人間は、賞与を3万円アップしてもらうよりも、会社が2万円のコストを使って社員に1万円の見返りがある福利厚生を提供されたほうが嬉しくなってしまう」
僕は経営者として、利益が出たらばなるべくお金で社員に還元したいと思っている。みんなで稼いだのだから、(株主も含めた)みんなで山分けする。実にシンプルだ。
だが、実際には賞与が3万増えたとしても、それは実感しにくい。それよりも豪華な保養所に安く泊まれたら、ちょっとうれしい。その差額が1万円でしかなかったとしても。
全く合理的ではないが、近年の行動経済学の研究によると、人間とはそもそも非合理なものだ。
普段あまり有給を消化できないのに、ワールドカップのときに会社が休みになる会社とか、給与があまり高くないのに保養所がある会社は、この認知のバグを利用しているのだ。
大したコストをかけずに、社員は喜ぶ。ある意味「上手な経営」なのかもしれない。
でも、サラリーマンの立場としては、それは経営者からハックされているだけだということに、そろそろ気づいたほうがいい。