「めんどくせえ」を大切に、あるいは課題や施策の見つけ方
20年ほど前の話。
家に遊びに来た同僚が爆笑していたので理由を聞くと、4歳の娘に「〇〇してみたら?」と言ったら「めんどくさい・・」と返ってきて、この子は全くもって白川さんの娘だなぁ、と思ったらしい。
確かに家でも会社でも僕はしょっちゅう「めんどくさ」とか言っているみたいだ。子供ってすぐに親のマネするよね。困ったものだ。
意識してないけど、恐らくお客さんにも「めんどくさいっすねー」とか言っている(同僚達は大人なので、あまり真似する人はない)。
でも、ちょっと真面目に考えて欲しい。
「めんどくさいと思う心」を大切にしないことは、日本のサラリーマンの重大な欠陥なのだ。
特に現場で事務をやっているような方は、驚くほど従順だし、献身的にめんどくさいことをやっている。
でも受け入れちゃダメだ。
(まあ実際には、僕の様に「こんなめんどくさいこと、わたしやりたくないです」とか毎回言っていると、周囲と喧嘩になり、最終的には組織から追い出されるので、仕方ないんだけど)
僕が「めんどくさい」と思うことには特徴がある。それは
・本来人間様がやらなくても良いこと
≒
・人間がやらずに済むように、いずれ改善すべきこと
ということだ。
例えば先日、超絶めんどくささを味わったのは、「健康保険の資格審査」的なやつ。娘が学生で収入が少なく、僕の扶養に入る資格があるか?みたいな判断ですね。僕が事務処理がそもそも苦手なこともあり、何度も何度も書類を提出させられた。ああめんどくさい。
これ、せっかくマイナンバー制度を作ったのだから、娘の収入がいくらかとか、勝手に情報収集してくれないものですかね?
もちろん、そうするまでには実務上の障壁があったりもするのだろう。でもそういうことが連携される世界観があるべき姿だし、いずれそういう形に改善して欲しい。
でもなぜか今はそうなっていない。死ぬほどめんどくさい。
僕は健康保険組合とかデジタル庁に勤めている訳ではないので、この課題を自分で解決することはきっと一生ない。
でも「めんどくさい」と口に出すことで、「ここに社会的な課題があるよ」をちゃんと認識しておくことには意義がある。
なぜなら、課題解決力が溢れかえっている現代では、逆に課題こそが希少資源だからだ。
つまり「どこに課題があるかを見極め、それを解決したらどういう未来が実現できるのか?」を見極めるのが難しいし、それができる人も貴重。その見極めさえ付けば、あとは解決が得意な人がよってたかってなんとかしてくれる、という話だ。
※この辺は山口周さんの本に繰り返し書かれている。例えば「ビジネスの未来」など。
この文脈で言えば「めんどくさい箇所」は希少資源である解決すべき課題(の候補)だし、「めんどくさいと思う心」は希少資源を探り当てるための、大切なアンテナの一つなのだ。
健康保険の手続きのような、社会的なテーマだけではない。企業の中の仕事にも、「めんどくさい」と言ったほうがいい、無駄な仕事はたくさんある。
・価格計算の元データはシステムに登録済みなのだから、あとはボタン1回押せば価格が出るべき。でもそうなっていない
・営業所からFAXで売上データが寄せられ、本社で一生懸命Excelで加工して上司に提出している。本来は上司がリアルタイムでパソコン上で売上データを見られるべき
みたいな話、皆さんの会社にありませんか?
これは「ゼロベースで考えれば、本来こういう業務になっているべき」という理想像からの乖離を課題だと認識している例だ。
僕らはコンサルタントとしてお客さんの業務を拝見して、こうやって課題を抽出している。
でももっとフィジカルでプリミティブな話として、
「見積価格を出すのに、なんであっちこっちに電話で問い合わせが必要なのか?めんどくさい!」
とか
「毎日Excelでデータ加工するのめんどくさい!」
という心の叫びから、改善活動をスタートしたっていいのだ。
そうしたらコンサルタントはいらないし。
そして、「めんどくさい」はシンプルに「工数がかかります」というサインでもある。
・業務部門からシステムの改修を依頼された。込み入ったロジックを触ることになるので、テストが大変
みたいな時に、担当エンジニアは「めんどくさい」と思ったり言ったりする。それは「工数がかかりますよ。もしかしたら本来かけるべきではない工数が。本当にやる必要あるか、立ち止まって考えませんか?」というサインかもしれない。
エンジニアじゃない人は「めんどくさい」という発言を、「このエンジニアが不真面目なのでサボタージュしようとしている」と受け取ることもあるかもしれない。でもたいていはそうじゃないのだ。
ここまで書いて思い出したことがある。少し前のブログで僕の初仕事について書いた。
とある新人プログラマーとアクアライン、あるいは人はいかにして失敗プロジェクト研究家になるのか?
アクアラインの30年シミュレーションシステムで、メインプログラムを担当した話なのだが、同じプロジェクトで僕の同期が30年分のカレンダーを2週間くらいかけて入力していた。
祝日だと銀行が閉まっていたり、給料日が1日前倒しになるので、シミュレーションに影響を与える。ところが祝日かどうかはそう簡単にロジックだけでは決まらない(春分の日、秋分の日が太陽の運行によって決まるので、年によって微妙にずれるらしい)。
そこでそのプロジェクトでは「30年分のカレンダーを手作業で入力する」という荒業に出た、という訳だ。
(ちなみに毎日毎日カレンダーを入力した同期は、東大卒だった。まさか東大出てこんな仕事するとは思わなかったでしょうね)。
この時彼は「こんなめんどくさいこと、やってられるか!」と叫ぶべきだったのだ(僕ならきっと叫んでいた)。
そうすれば、2週間かけてカレンダーを登録するよりマシな方法について、立ち止まって考えたはずだ。
それについていま考えると、雑なシュミレーターだったので、秋分の日が9/23だろうが9/24だろうが、取るに足らない誤差でしかない。今の僕が仕様決定者だったら、9/23に決め打ちすることで、カレンダーを持たないようにする(実際にその数年後に祝日が一斉に月曜日にシフトした。当然シミュレーションは微妙にずれることになった。その程度のものです)。
このエピソードも典型的な「死ぬほど面倒なことに対して、めんどくさいと言わなかったせいで、価値が低いことに工数を使ってしまった」という事例だ。
みんなもっと「めんどくさい」を大切にしよう。
そしてできれば、周囲との軋轢を気にしすぎず「めんどくさい」と口にしよう。