上司が部下より優秀なだけで解決する諸問題、あるいは抑圧から自由になること
「納得感のあるダメ出し」と「しょうもない細かいダメ出し」は一体何が違うのか。
という記事を読んだ。
・価値を生まないダメ出しをするアレな上司もいる
・しょうもないダメ出し、と部下に思われたら負け
・上司はダメ出しの基準を言語化できないとね
みたいなことが書いてあって、100%同意。
ただし、その前に1つ重要なことを指摘したくってこのブログを書いている。
それは
「なんか指摘しないと無能だと思われる症候群」は、上司部下の実力差が明確なら起こらない。
ってこと。
何度か書いているけど、ウチの会社は100%能力主義で運営されていて、年齢性別社歴などなど無関係にその時々の能力が判定され、それに従って待遇や役割が決まる。
それを運営するのは本当に大変だし、いくつか弊害もある。だが、一つ大きなメリットもある。それは「上司はほぼ必ず自分より優秀」ということだ。年齢とか社歴とか偉い人の覚えがめでたいとか、そういう理由で無能な上司が自分の上にいる、ということは基本的には起こらない。
(基本的に、と書いたのは成長カーブが急な場合はタイムラグの関係で逆転現象は起こり得る)
この「上司は自分より優秀」が担保されているだけで、サラリーマンの悩み事の多くは発生しなくなる。例えば・・
★「なんか指摘しないと無能だと思われる症候群」はなくなる
人間の心理として、部下から資料とかが上がってきたら何かを指摘する必要を感じる。示しがつかないというか、仕事しているフリというか、俺のおかげで君の仕事の品質上がったでしょ、みたいなね。
でも、上司が部下よりあからさまに有能なら、そういう「仕事におけるポーズ」は全く必要なくなる。そんなことしなくても優秀だと自他ともに認めているんだから。そうなると楽ですよ。虚栄を張らなくていいというのは、双方にとって本当にストレスがなくなる。
つまり上司側は純粋に「品質を上げるために支援する」というマインドで働ける。もちろん、十分品質が高いならば、それを判断できるし、その場合は「指摘なし。この資料イイね!」で済む。優秀な上司からすると他にやることたくさんあるんだから、「指摘なし」で済むものならば、そうしたい。
元々のブログが強調している「ダメな理由を分かるように伝えるべき」ももちろんできる可能性が高い。そういうことをきちんと示せるからこそ、そのポジションにいるんだろうし。
★細かい指摘もなくなる(はず)
そもそも「上司が細かいことを指摘する」って、よく考えるとおかしい現象である。
上司って、部下よりも見てる範囲も広く、見識も高いはずだ。だとしたら、レビューをするときの指摘は細かいことよりもまず、「そもそも、こういう内容がごっそり抜けている」とか「顧客視点から考えていない」とか「考え方の枠組みがおかしくない?」とかになるはずだ。少なくとも僕はそういう指摘ばっかりする。
僕の今の仕事はほとんどが、部下の困りごとの相談に乗る事だ。そこでよくある光景は、困りごとの内容を2,3分聞いて、僕が「この話って、普通は~~こんな感じに進めるべきだと思うけど、今回なんでこうなってないんだろうか?」とか「あれ?そもそもなんでそれやってんの?」みたいなことを言い出し、考え方の枠組みを二人で整理して、今後のアクションが整理されていく。
そんなことを話していると、細かいことには目が行かない。というか細かいことまでたどり着く前に、大きな方針が変わる(なので、20%ルールと言って、まだ方針が柔らかいうちに議論する)。
第一、細かいことは僕よりも部下たちの方がずっと得意なので、僕が出る幕はない。そのテーマについて情報を多く握っているのは彼らなのだから。
とはいえ、マイクロマネジメントの記事で以前書いたように、細かい指摘がくせになっていて、やめられない人もいるんですが・・。
上司って、本来、こうやって部下の側がうまく使うものだと思う。自分の仕事の品質を上げるために助けてもらったり、品質のゲートキーパーになってもらったり。もし本当に自分よりも上司の方が本質的なスキルや見識が高いのであれば。
たまに社外の人から上司との付き合い方を相談されるが、半分くらいは「そもそもその上司が上司として成り立ってないですよね。でも無視はできないからどうしましょうか」となるし、残りの半分は「せっかく優秀な上司のようなので、こうやってしゃぶり尽くしましょう」という話になる。
★上司からのマウンティングもなくなる
意図的か無意識かはともかく、マウンティングしてくる上司っていますよね。
「誰のおかげでこの部署に移動できたと思ってるんだ」みたいな露骨&高圧的なケースもあれば、「君には目をかけているんだよ」と優しいケースもあるのだが、どちらにせよ、「ボスは俺だということを忘れんな」という高崎山のサルみたいな接し方。
なんでマウンティングするのかと言うと、誇示しないとどちらが上か、わかりにくいからだ(その辺、マウンティングすることで平和が保たれるサル山と同じだ)。でも能力差があからさまなら、わざわざそんなめんどくさくてイヤらしいこと、しなくて済む。ウチもそうだけど、プロフェッショナルが集う組織って上下関係が弱めな、フラット組織になりやすい。それは逆説的だけれども、実力差が露骨だからこそ起こる。よく「本当に優秀な人は偉そうにしない」と言われるが、それはマウンティングの必要がないからだろう。
マウンティングは感じ悪いだけでなく、そこで働く人々の心理的安全性を脅かすのでたちが悪い。以前の記事にも書いたように、心理的安全性は仕事を通じて人が育つために欠かすことができない。
★一方で、部下の逃げ場もなくなる
むかし「ベンチがあほやから野球ができへん」といって引退したプロ野球選手がいた。
一見かっこいいセリフだが、単なる遠吠えである。当事の阪神は確かにダメ球団だったろうが、だからといってマウンドの上でプレーするのは選手だし、サッカーに比べて野球は遥かに個人競技だから。そもそも本当にベンチがあほで野球ができないなら、他球団でもアメリカでも行けばいい(野茂のようにパイオニアとして)。
仕事もこれと同じで、「上司があほやから仕事ができへん」というのはたいてい遠吠えだと思うが、新橋の焼き鳥屋でこれをぶちまければ、とりあえず自分の不甲斐なさを忘れることができる。
でも、常に上司が自分よりも優秀だと「上司があほだから」と言えなくなる。言ってもいいけど、本当は上司が優秀なことを、自分が一番良く知っているので虚しくなってくる。
これ、逃げ場がなくて辛い人も多いと思う。「仕事がうまくいかないとしたら、それは常に自分のせい」という状況に耐えられるほど、人間って強くないんじゃないかなぁ。もちろん普段は「仕事の限界は自分の能力の限界。だから頑張っていろいろできるようになろう」と前向きに思える。これはとても重要なマインドだ。でも、仕事が順調でなくなってくると、結構精神的に追い込まれやすい。仕方ないんだけどね。
・・ということで、人事評価がかなり適切で、「上司は自分より優秀」という世界が実現すると何が起きるのか、書いてみました。
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