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休暇中にメールをチェックする人は怠け者である、あるいは本当の向上心について

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休暇中にメールをチェックする人は怠け者である。
僕は怠け者ではないので、休み中はパソコンを開かない。が、うちの社員もお客さんも、休み中にメールをチェックする人は多い。僕はそういう人に「やめたら?」とよく言うけれど、意見を採用されたことはない。


オーストラリアで仕事をしている僕の従兄弟は、平気で1ヶ月くらい日本に帰ってくる。しかもちょくちょく来る。「仕事どうなっちゃってるの?」と聞いたら、「いや、日本にいてもリモートで大抵のことはできるから、最低限はやってるよ」と。こういうケースならば、休暇中にメールチェックするのもありだろう(というか、休暇扱いではないのかも・・)。
でも、日本人の休みなんてせいぜい9日間くらいのものだ(5日休んで平日埋めて、両方の土日をくっつけると9日になる)。僕も今年の夏休みは9連休だった。もっと短い人も多いだろう。

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で、1週間くらい仕事のことをきれいサッパリ忘れられないとか、メールをチェックしないと心配で手が震えてくるのだとしたら、人間として脆弱すぎるのではないだろうか?
誰か1人がたかだか1週間音信不通だからといって、仕事に致命傷があるのだとしたら、組織として脆弱すぎるのではないだろうか?


僕らがやるべきは、休み中にこまめにメールをチェックすることではなく、むしろ、
自分が1週間くらいはメール返信しなくても、つつがなく仕事が回る状態にしておくこと
なのではないだろうか。

もっと言えば、休み中にメールをチェックする人は、
「自分がいなくても仕事が回る状態を作る」という本質的な仕事から逃げている怠惰な人、
それに必要なコーディネート力を鍛えるのを怠けている人、
なのではないだろうか。



仕事をやっていくと、色々と予期しないことが起きる。奥さんが重病になるかもしれないし、別のピンチな仕事の応援をするために、いきなり今やっている仕事から引っこ抜かれるかもしれない。もちろん本人がバスに轢かれるかもしれない。
そういう時に備えて、「最悪この人がいなくてもなんとか仕事は回る。いたほうがもちろんいいけど」という状態を作るのは、組織にとっても極めて重要なことなのだ。
休暇で1週間音信不通になるのは、本当にささやかながら、良い予行演習になる。この後の1週間で起きることを想定して、周りの人に対応方法を伝授しておくのも、ナレッジ移転の良いきっかけになる。


今、「ブラック・スワン」で有名になったナシーム・タレブが書いた「反脆弱性[上]――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方 」を読んでいる。
大震災や大恐慌のような、本質的に予期できない、リスク管理もできない事態(ブラック・スワン)は、みんなが思っているよりも頻繁に起きる(2000年以降も、911やリーマンショックや東日本大震災など、そこそこ起きている)。
そういう事態に対して単に耐性があるだけでなく、逆に強くなるモノもある。それをタレブは反脆弱性(反脆い)と呼んでいる。


この記事の主張をタレブ風に言うと、休暇中に困った事態に対応できるようにメールをチェックする一見まじめな人が作る組織は、脆い。バスに轢かれるレベルの不測な事態には対応できないから。
そしてしばらく音信不通でも問題ない様にしておくために休暇中のメールチェックなんてしない、一見不真面目な人が作る組織は、反脆弱性が高い。つまり、不測の事態が起きた時に前よりも強い組織になれる。
具体的には予めナレッジがちゃんと周りに伝わっていて、キーマンがいなくなった穴を埋めるべく、他の人達が成長するとか、ムダな仕事はキーマンがいるときから捨てられているとか、そういうことだろう。

直感に反するので、分かりにくいかもしれない。
でも、本当に大事なことなのだ。

こないだ、ある大企業で「管理職になって6年たったら、3ヶ月連続で休暇をとらなければならない」というすごい話を聞いた。組織を強くする、素晴らしい方法だと思う。課長や部長なんて、意外といなくても回るものだ。僕なら自転車でヨーロッパを一周するかな(または本を一冊書く)。


僕は物心ついたときから自分が不真面目なことを自覚していたし、それに対してコンプレックスを抱いてもいた。真面目な人を素直に尊敬もしていた。

でも、25歳くらいのころ、気づいたのだ。
一見まじめな人は、「会社のことを批判的に見て、改善していく」とか「プロジェクトの大きな穴を見つけてみんなに知らせる」とか「自分がいなくても良いように、他の人を鍛える」みたいな、本質的な仕事に取り組む姿勢が弱めだと。
つまり、一見まじめな人は、本質的には怠け者であることが多いのだ。

一見まじめな人は、「何に時間を使うべきか?」を判断する時に、他者の視線を気にしすぎる。期待に答えようとしすぎる。真面目だから。
だがその結果、どうしても本当に取り組むべきことから目をそらしがちになる。例えば、企画書のパワーポイントを丁寧に作り込むが、有識者や想定ユーザーから本音を引き出すのをサボっていたりする。

逆に、一見不真面目だけれども仕事ができる人、というのがどこの組織にでもいる。彼らは「何かをきちんとやる」ことへの興味が薄い代わりに、本質的なことを外さないように考えつくしたりしている。

後者をきちんと評価する会社でありたい。
会社が本当に求めているのは、偏執狂的にメールをチェックすることではない。タフな組織を作れる人、仕組みを作れる人、そういう能力を絶えず鍛える意志を持った人なのだ。

*********参考過去記事******************

真面目な人がかかる「俺がやらなきゃ回らない症候群」、あるいは組織がグレードアップする構造について

まだ管理で消耗してるの?あるいは僕が管理をしない理由

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