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君はどっちタイプの社畜?あるいは資本と労働者の関係論

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今日は、飛び石連休の中日。
さっき、こんなTweetをした。

今日休めば4連休なのに、会社行ってる社畜のみなさん、元気かね。
僕は会社休んでうきうきで近所の喫茶店来て、うきうきで仕事してるタイプの社畜だよ。

そしたら「うきうきお仕事する人はもはや社畜とは呼べないと思います(笑)」というレスが来た。
その方は自分も会社や仕事がちょっと好きで、そんな自分も社畜なのかしらん?と。



「社畜」という言葉は新しいけれども、2つの意味があると思う。
a)マジで会社にこき使われているタイプの社畜
b)会社や仕事が好きで、自発的に仕事を楽しんでいる人

僕は、a)にはほとんど興味がない。
自覚があるなら、さっさと逃げ出したほうがいい。能力的な問題でそれができないなら、諦めるしかない。
あまりに忙しくて、または世間知らずで、自覚症状すらないならば、ぜひ周りの人が忠告してあげたほうがいい。


一方、b)意味で使われている「社畜」という言葉には興味がある。
インターネット上で使われる社畜という言葉の、4割くらいはこっちなんじゃないかな?特に自虐的にいう場合。


そもそも、a)はともかく、b)をなぜ社畜と呼ぶのか?
それは、「家畜の究極形は、檻の扉が空いていても逃げ出さない家畜だ」という考え方があるからだ。
牛乳をくれたり、セーターの原料を提供してくれる上に、管理も不要。
最高に便利な存在が、b)のタイプの社畜。

>今のお仕事も結構好きなので、優先的に仕事に時間を割いてしまいます。
という人がいたら、それはb)のタイプの社畜です。
自発的社畜。



もちろん、僕もb)のタイプの社畜だ。
(というか、僕の場合は役職がバイスプレジデントなので、仕事内容は経営者なんだが、色々な事情で役員でもないし株も持ってないので、まあ社畜である)

さて、「b)のタイプの社畜であることは不幸なのか?」という命題は、結構哲学的な問いかも知れない。

マルクス主義的観点からすると、「資本家に飼いならされている社畜だが、それに気づく知性すらない」ということになる。
マズロー的な観点からすると、「仕事を通じていろんな欲求を満たしていて、大変ハッピーで理想的な仕事人生。しかも檻に入れて監視しなくても、自己管理ができる模範的社員」となる。


どちらも正しい。同じ現象を表から見るか、裏から見るかというだけの話だ。
僕は性格的な理由から、後者を採用している。
「社畜であることを自覚しつつ、明るく楽しく仕事している。人生において、働きがいがあるって幸せなことだから。」という立場。


今日、321社が参加した「働きがいのある会社ランキング」で、僕が社畜的に勤める会社(ケンブリッジ)が2位に選ばれました。
https://www.ctp.co.jp/company/gptw.html

ずいぶん前から、面白い調査だと関心を持っていたのだけども、忙しくて参加していなかった。今年初めて参加して、2位というのは、まずまずではないでしょうか。

これについては次回、ちゃんと記事を書こうと思います。

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