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学力、あるいは学ぶ力

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小中高と、僕らの周りには「学力」という言葉が沢山あった。学力テスト。学力向上。
大学受験が終わると、その言葉は途端に聞かなくなる。社会人には学力は必要ないのだろうか?

いや、それはおかしな話だ。僕らが学校や親や塾から口うるさく学力向上を求められたのは、それが社会で必要だから、という建前だったはずだ。いい大学に入るためだけに学力を伸ばしていたのだとしたら、寂しすぎる。

本当は仕事を始めてからも、というか始めてからのほうが、学力は切実に必要となる。ただし、仕事の場では一般に学力と呼ばれず、「学ぶ力」と呼ばれる。


仕事をしていて、学ぶ力をいつ必要とされるか?
今まで自分ができなかった無数のことにチャレンジするときに、常に必要とされる。

コンビニ定員になって宅急便の扱い方を覚えるときに。
経理部に配属になってややこしい仕訳を切るときに。
新しい言語でプログラミングするときに。
なんだか分からないことの企画書を書くときに。


学ぶ力が高い人は、速く、深く、広く学ぶことができる。難しいことでも、いつかはできるようになる。
極論すれば、学ぶ力が高ければ、今現在何ができて何を知っているかはどうでも良くなる。その時必要な力を持っていなくても、いくぶんかの時間を貰って学んでしまえばいいのだから。
よく、企業が学生に求めるのは1にコミュニケーション能力、2に英語力・・などのアンケートがあるが、本当に欲しいのは学ぶ力のはずだ。最終兵器的な、オールマイティ能力なのだから。
ちなみに、学生に即戦力を求めるのもナンセンスだ。様々な大企業の人事部に勤める方に聞いて回ったことがあるが、学生に即戦力を求めると言った方は一人もいなかった。


学ぶ力とはなんだろうか?
内田樹は、
・自分の不足に気づき、
・それを教えてくれそうな人を探し、
・「すみません、教えてください」と頼めること
と言っている。これだけのことなんだと。

僕はそれの前に、
・はじめてのことを前にする
・まあ、こんな感じでできるかな?と予想し、
・実際に手を動かしてみて、
・それを人に見てもらう
というステップを追加したい。

学校ではなく仕事では「自分の不足に気づく」というのは、かなり難しいからだ。不足に気づかないと、「教えを乞う」というモードにはならない。
そのためにも、「見よう見まねでやってみる」というプロセスは、学ぶ力の大きな構成要素だと思う。

ということで、学びのプロセスはこんな感じになる。
・はじめてのことを前にする
・まあ、こんな感じでできるかな?と予想し、
・実際に手を動かしてみて、
・それを人に見てもらい、
・自分の不足に気づき、
・それを教えてくれそうな人を探し、
・「すみません、教えてください」と頼めること
・そして、自分でリベンジしてみる



これはやれる人(学ぶ力がある人)には簡単だけれども、実際には中々できないですね。例えば、僕は小さな会社に勤めているので、社内で僕が1番得意なこと、1番詳しいこと、というのはそこそこある。でも「改めて、○○について教えてほしい」とは、たまにしか言われない。
「こいつに聞いても教えてくれない」と思われているのかもしれない。
「そもそもこういうことって、人から教えてもらえるものだと思っていない」のかもしれない。
単純に不足を感じていないのかもしれない。
ひどい時には、「○○について情報を持っているよ」とこちらから言っても、聞きにこない。それで仕事が失敗するとか、夜遅くまで働く羽目になるのってバカバカしいと思うのだが。


会社の文化にもよると思うけど、たいていの人間は教えたがりだ。僕がそれを知ったのは、社会人1年目の時だった。
その会社では毎週月曜朝に、みんなで掃除をする習慣があったのだが、その時に「毎月社長が発表する我が社の管理会計と財務会計って、なんでいつも数字がずれているんですかね?」と同僚に聞いてみた(同僚からの答えは全く期待せずに)。
すると、同じく掃除をしていた隣の部門の上司がそれを聞いていて、「教えてやる。掃除なんかいいから聞け」と、こんこんと説明してくれた。その会社はちょっとアレな社風で、掃除をサボるのは結構なタブーだったので、「掃除なんか」という言葉は今でもよく覚えている。

残念ながら当時の僕は会計の初歩すら学んでいなかったので、彼の説明はよく分からなかった。しかし「どうやら、分からないことは、分からないと口にしたほうが良いらしい」ということは理解した。青田さん、元気にしてるかな。



さて、学ぶ力が弱いというのは、なぜなんでしょうね。
単純に好奇心が少ないのかもしれない。
プライドが邪魔をしているのかもしれない。
学校でこの手の学ぶプロセスをあまり訓練されなかったことも影響しているかもしれない。学校では知識は常に、座っていると向こうから押し寄せてくるものだったから。


かくして今日も「手を動かしたか?」「ひとに聞け」「聞くときは自力で書いたものを見せながら聞け」「あの人に聞きに行ったのか?」と言い続けることになる。
僕は少しつかれたよ。
でも5年前、10年前よりはものすごく良くなった。
これからも、少しずつでも、変えていく。



***新刊ニュース**************************************
新しい本の配本日が12/5に決まりました。
その2週間ほど前から、Amazonでは予約可能になるはずです。
この期に及んで、まだタイトルは確定していません...。悩ましい。

さて今は、初ゲラのチェックが終わり、2番目のゲラを待っているところ。
3冊目にして今回はじめて、プロの校正の方にチェックしていただきました。なんとなく校正って、誤字脱字や「てにをは」をチェックするものと思っていたのですが、内容面まで踏み込んでくれます。
・引用するなら正確に。こう直していいですか?
・この調査、既に2015年版が出ていますが、数字を更新しますか?
などなど。

編集、校正、装丁、製本、営業、書店と、様々なプロがバトンタッチして本は世の中に出ていきます。こういう仕事のネットワークが、文化そのものと言っていいと思います。電子書籍化で大きく変わりつつありますが。

↓これはひとつ前の本。意表をついて地味に売れています。

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