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日報を書き続けることの意味、あるいは結局ひとを育てるのは自分だということ

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ウチの会社では、社員1人1人が日報を書き、プロジェクト内でメールで流す。別に規則ではないのだが、プロジェクトを始めるときに「このプロジェクトでは日報を書くことにしよう」とローカルルールを決めることが多い。

形式は自由でカジュアルだ。
最低限
・今、何をやっているか
・これから何をやるか
は書くが、それよりも重視されているのは、
・今、何を課題だと感じているか(個人としてチームとして検討の中身として)
・それをどう解決しようとしているか
・ふと気づいたこと
・他のチームメンバーへの呼びかけ(もっとこうしよう!)
である。
あとは出張が多いプロジェクトだと、どのラーメン屋さんが美味しいとか、ホテルのフロントのお姉さんがどうとか・・まあ、息抜きとして。


事務的な進捗報告だけでなく、ちょっと踏み込んだことを書くことで、他の人からアドバイスやらツッコミやら賛同やら示唆がもらえる。自分でも今の状況を冷静に整理し、次の行動計画を立てやすくなる。
そして、ちょっとした事(状況や心境)を文章化するのが苦でなくなる。仕事する上で文章がさらっと書けるとやはり便利だから、その意味でもいい修行になる。


プロジェクトで「日報を送り合おう」と決めていても、それを実行できない人もいる。別に不真面目な人々ではない。日報を書く代わりに、プロジェクトを前に進めるために、一生懸命何かをやっている。
でもそういう人は、一生懸命な割に、損をすることになる。自分の頭を整理する機会がなくなるし、周りからアドバイスをもらう機会がずっと減るからだ。損なことは分かっている。でも、書けない。困ったものである。



僕のバーチャル師匠のジェラルド・ワインバーグについては、これまでも何度かこのブログで触れてきた。優れた師匠は弟子から見て、謎の部分があるものだ。弟子は師匠のやること言うことの全てを理解できない。なぜなら、その時点で弟子が持っている価値基準の外側で師匠はものを考えているからだ。
それでも「この人はすごい」「この人について行けば、いつかわかる時が来る」といってついて行くのが師弟関係というものだ。


「リーダーシップと日報、日誌の関係」という話も、長い間僕が理解できなかったことの1つだ。
「技術的リーダーシップの人間学」という本は、プログラマーの様な技術者が現場で発揮するリーダーシップについて書かれた本だ。この中で、リーダーになるための修行として、「毎日必ず、5分間日誌を書く時間を確保して、その日あったことについて振り返る」
という方法が紹介されている。





日誌を書いたり振り返りをすること自体は、いいことなんだろう。「子供の頃から日記を毎日書いています」とか言われると、それだけで人間として負けた気がする。すごくきちんとしている人みたいだ。僕自身が正反対の性格なだけに。

僕がずっと分からなかった事は、それがリーダーシップとどう関係があるのか?ということだ。ワインバーグ師匠は「これを読んでも日誌を書こうとすら思わなかった人、書き始めたが数日で書かなくなってしまった人は、リーダーシップについて大きな問題を抱えていると考えて良い」とまで言い切っている。そして本には延々と日誌について書かれている。
でも、リーダーシップって、他人に影響を与える技術(または姿勢)のことでしょう。日誌を書くというのは、実に個人的な習慣である。関係なくね?



だが、とりあえずやってみることにした。弟子だから、意味が分からなくてもやる。もう10年くらい前の話だ。
ある日の日誌をちょっと見返してみると・・


2006/3/9 16:31
・○○さんからお客さん関連会社関係の調査を引き継いだが、ウーム、という感じ
⇒時間をかけて調査したが、その結果得られた知見はショボイ
・ある程度暗中模索だったのでしょうがないが、あんなに時間を使う前に、「こういう観点をこういう風にして調査します」とか言ってくれれば、無駄が防げた。
・早め早めにプレゼンする場を「こちらが」設定して、フィードバックをしていかないとヤバイ



・・・という様に、今読んでもなんてことのないメモである。その時は一生懸命考えたり、悩んだりしたことなんだろうけれども。


どんなに忙しくても、書くことがなくても、内容がかっこ良くなくても、毎日かならず5分間時間を割くというのがミソだ。「毎日かならず」となると、意思の力だけでは難しいからだ。
毎朝仕事を始めるにあたって書くとか、帰る前の5分間をそれにあてるとか、ToDoリストに追加するとか・・
必ず忘れずに、時間を割けるような仕掛けを作らなければならない。そしてそれには万人に有効な方法はない。必ず自分の生活リズム、性格にマッチしていなければ続かない。
そして、有効な仕掛けを作るためには、自分を知らなければならない。

結局、当時の僕の働き方で有効だった方法は、
・昼休みから仕事に復帰した1つ目のタスクとして日誌を書く
・打ち合わせなんかでそれが出来なかったら、5時までに休憩時間を設けて書く
・それを忘れないように、4時にアラームをセットする
という様な感じだった。
多分「朝1番に書く」が一番確実な方法なんだけど、僕は朝はバタバタしているので無理だった。無理な事をやろうとしても続かない。



さて、これを3年くらい続けたのだが、リーダーシップ強化につながったのだろうか?

つながった気がする。多分。
少なくとも分かった事がある。

世の中に、「リーダーシップの発揮の仕方」的な本が溢れているが、こうすれば発揮できる、という本は殆どゴミだ。なぜなら、リーダーシップとは極めて文脈依存なものだからだ。個人によって違う。環境によって違う。相手によって違う。
だれかが必勝法を教えてくれたとしても、僕らはその誰かとは別な人間だ。だからたいていはその通りやっても上手くいかない。その代わり、自分をよく知り、自分の周りの状況をよく観察し、その中で少しづつ人に影響を与えられる様になっていく。


「人に影響を与えたかったら、まず自分を見つめる」
というと、ちょっと宗教っぽいけど、でも本当のことだと思う。

「MBAが会社を滅ぼす~マネジャーの正しい育て方」という本で、経営学者のヘンリー・ミンツバーグもほぼ同じことを言っている。経営者、経営幹部を育成する上で最も重要なのは「省察」だと。
経営幹部の仕事は、決められたルール通りに何かをこなす仕事ではない。正解のない中でギリギリの判断をするのが仕事だ。そういう時に、自分が置かれている状況と、自分が下した判断について、振り返り確認していくことでしか、成長できないのだと。



そしてもう一つ大事なこと。
「忙しいから」という理由で、落ち着いて状況を見渡す習慣が作れないような人は、決してリーダーになってはいけない。
役職が上がると必ず忙しくなる。だからといって日々の雑事に紛れて大事な事を考える時間を割かないと、リーダー(皆を導く人)になれない。というか、リーダーになると皆を誤った方向に導いてしまう。
「毎日かならず日誌を書くことに時間を割く」という訓練は、そういう心の姿勢を身につけるきっかけになる。

とりあえず師匠に言われた通り、黙々と日誌を3年間書いて、良かったと思う。




追記)今日の記事は、いま僕と一緒に仕事をしている、どうしても日報を書けない何人かのためだけに書きました。

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