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あるいはファシリテーションが得意なコンサルタントによるノウハウとか失敗とか教訓とか

果たせなかった五輪出場、あるいはHPのボーリング表示器に思いを馳せる

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既にオリンピックは、卓球の愛ちゃんの様に小さい頃からその競技に人生の大半を捧げてきた人たちのみが、出ることを許される場になっているのだと思う。

自転車にハマる前、運動不足解消のためにほぼ毎週、横浜国際プールで泳いでいたのだが、そこに必ずいた親子のことを思い出す。1レーンを貸し切って、8歳位の女の子が凄くシリアスに、常に全力で、猛烈に練習していたのだ。
日本代表クラスのスイマーというのは、本人とお母さん(コーチ役)の時間と情熱を長年つぎ込み続けて、ようやく到達するかしないかという厳しい世界なんだろうなぁということは、遠目に見ていただけだけの僕にもよく分かった。
それだけ、鬼気迫る泳ぎだったのだ。
5,6年前のことなので、あの子にとって、次のリオあたりが年齢的に勝負オリンピックになるのだろう。今でもまだ泳ぎ続けているだろうか。

オリンピックを見ていると素直に感動する反面で、この場にたどり着けなかった、多くの人たちがいる事を考えてしまう。プールの子の様に全てをかけたにも関わらず、夢がかなわなかった人について。
努力をつぎ込んだ結果、はじめて見えてくる才能の壁を感じることもあるかもしれない。努力も才能も伴っても、結果だけがでないこともある。

でも、努力をつぎ込まなければ、才能があるかどうかも分からない。人生の早いうちから到達目標を決め打ちし、それに向けて突き進む人だけが、勝負のスタートラインにつくことが許される。
何にせよ、目標を決めずにぬるぬると生きてきた僕とは真逆の人生観だなあ、と思う。

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「ベトナム戦争の捕虜として何年も生き残った人は、次のクリスマスまでには開放される、というような夢を見ない人だった。期限付きの夢を見る人は、叶わないことが分かるたびに、目に見えて衰弱していった。
生き残った人たちは逆に、いつ開放されるか分からないという、厳しい現実を直視する。それと同時に、いつかは絶対に解放される、ということを信じていた。その人にとっては、現状が厳しいことと、最後には成功することは矛盾しない。」


「ヴィジョナリー・カンパニー②」に出てきた、このエピソードが好きだ。これを読んでから、少しタフになれた気がする。
「オリンピックに出る」のような目標、「あの会社に就職する」「同期で一番早く管理職になる」といった白黒がはっきりしている目標を、僕は掲げない。
そのかわりに、この収容所を生きて出られるほどタフであると、自分を信じる。
「いつかは、なにか素晴らしい仕事が出来るはずだ」「はじめての事にチャレンジ出来るはずだ」と、もっとベースに近いところで己を信じる。



会社で考えてみよう。
同じくヴィジョナリー・カンパニーにHPの創業エピソードが載っていた。

わたしたちは、カネになりそうなことは、なんでもやってみた。ボーリングのファウルライン表示器、望遠鏡のクロック・ドライブ、便器に自動的に水を流す装置、減量のためのショック装置などだ。たった約500ドルの資本金しかなかったから、だれかが自分たちにできそうだと考えたものはなんでもやってみた。

ヒューレットとパッカードは、ファウルライン表示器の開発に命をかけていたわけではない。彼らにあったのは「何がヒットするかは分からない。でも、僕ら2人が手を組めば、素晴らしい会社ができるに違いない」という深い自信だ。



プロジェクトで考えてみよう。
今書いているプロジェクト立ち上げの教科書のために、「プロジェクトを立ち上げた瞬間、キーパーソンが何を考えていたか」について多くの方に取材している。
そこで分かってきたのは、
「○○というプロジェクトゴールを必ず成し遂げる」と、あらかじめ見通せている方は少ないということ。
そうではなく、「何をプロジェクトゴールにしたら良いかはまだわからない。だが、この会社には良くすべきこと、正すべきこと、良くなる余地が沢山ある。最後には必ず良いプロジェクトにできるし、成果を出せる」という確信が、プロジェクトの源泉になっている。



日々の仕事で考えてみよう。
今日の会議を上手くリードできるかは分からない。この分析資料がCoolかは自信がない。
でも、毎日もがいているうちに、最後にはお客さんに信頼してもらえ、チームに貢献できるという自信。



僕らはたいていの場合、自分が何を成し遂げられるか、事前には分からない。
でも、何かは成し遂げられるはずだ。努力をやめなければ。
成し遂げたものが何だったのかなんて、後から分かれば充分じゃないですか。

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