オルタナティブ・ブログ > プロジェクトマジック >

あるいはファシリテーションが得意なコンサルタントによるノウハウとか失敗とか教訓とか

教師にこそ必要な学ぶ力、あるいは授業を参観しなかった件

»

少し前、小学校2年生の娘の学校に行った時にツイートしたものを転載。
(分かりにくい点が多かったので、転載時に少し補足した)

1)娘の授業参観に来ているが、いたたまれなくなって出て来てしまった。そして隣のクラスのベテラン先生の授業を覗き、娘の担任との先生としてのスキルの違いっぷりに愕然とした。

2)ベテラン先生の優れている点はいくつかある。算数の問題を考える際の思考の流れを丁寧に板書しながら、生徒に追体験させてあげていた事。集中の緩急を付けるのがうまいこと。ちょっとした隙を見て個人個人の理解度をチェックしていた事。
これらは全て、僕がプレゼンやトレーニングする際に大事にしていることだ。

3)うちの娘の担任も全く同じ内容を教えていた。ベテラン先生が時間を割いていることをやらない代わりに彼がやったのは「3リットル4デシリットルと1リットル2デシリットルの違いを求めましょう」という問題について「違いとは何か」と問いかける事だった。

4)「違いを求めましょう」というのは「体積の差を求めよ」という事だろうが、「違い」という言葉を使わずに「違い」という概念を説明するなんて、僕にも出来ない。もちろん彼自身にもできていなかった。

5)さて、僕が言いたいのは娘の担任がいかにスキルがないかという話ではない。スキルがないなら、なぜある人に学ばないのか?ということだ。ベテラン先生の授業を数回聴講して、教えを請えば、スキルの高低以前に、目指すスタイルが全然違う、ということにはならないはずだ。(直ぐに追いつけないのも事実だが)

6) 自分の不足点を知り、優れた人に「すみません、コツを教えて下さい」と頼む事こそが、「学ぶ力」であると内田樹は常々書いている。 先生に学ぶ力がないのならば、生徒はどうやって学ぶ力の重要性と身につけ方を知るのか。

7)学ぶ力については、学校ではなくて両親に求められる事なのかもしれない。別にそれでもいいけど、それってみんながきらいな「格差」の源泉だと思うのだが、それでよろしいのであろうか。 何にせよ、かなりブルーな気持ちになって来たので、「王様の耳はロバの耳」的に書きつけてみた。

8)と、書いてきたが、このことは娘には言わない。娘の前で「先生を尊敬していないそぶり」は、彼女の学ぶ力を決定的に損なうからだ。また、先生にこれを伝えたところで、ただのモンスターペアレントであり、なにも良い結果を生まないだろう。

9)僕らコンサルタントが「学ぶ」ということについて教師よりも恵まれている点が2つある。 1)同業者の仕事ぶりを見られること。特に他社との協業は勉強になる。2)フィードバックを貰えること。上司にダメ出しされたり、お客さんから「意味わかりません」と言われたり。
教師にはこれらが両方なく、気の毒に思う。

Comment(8)