災害支援1日目 あるいはほぼ日常の周辺部
★事前準備できず
ゴールデンウィーク前の1週間は思いのほか仕事が忙しく、事前準備は全く出来なかった。仕方ないので買物リストだけは作り、友人に物資のかき集めをお願いしておいた。
木曜日帰宅後に準備開始。寝不足で運転も危ないので無理のない時刻に起床。
★初日(4/29)は移動日
一緒に行く同僚と合流し、友人の愛犬を預けたり、寝袋を借りに行っているやらで、都内を出たのは昼過ぎになってしまった。
買い物の総仕上げとして、スーパーで大量の野菜を箱買い。新玉ねぎ、人参、トマト。。
お一人様1つ限定の激安キャベツも、事情を話すと全部を出血価格にしてくれた。野菜売り場の主任さん、ありがとう!
高速道路は常磐道を使ったが、いたって平常。連休初日としてはむしろ空いているくらいか。東京では青葉が綺麗な桜も、段々と葉桜になり、満開になり。滝桜で有名な三春町が1番綺麗だったかな。
北上するに従って「段差注意」の看板が目立ってくるが、他の車は100k巡行。ベトナムの田舎道の方がよっぽどスリリング。
★仙台は旅行者の目から見ると普通
仙台についたのは夜9時になっていたが、少し前に震度7の地震があった様には見えなかった。いたって普通。ここから数十分車で行くだけで、数万もの方が亡くなった場所なのだ、という実感は全くない。
復興経済支援とか言いながら、もちろん夜ご飯は牛タン。最高うまかったです。
★南三陸町へ
Twitterでは、連休中の被災地周辺の渋滞が大きな話題になっていたので、海岸沿いの最短ルートは避け、山側からアプローチ。高速道路に比べれば幾分道は荒いが、問題ないレベル。渋滞も僕らが通ったルートは全くなかった。
南三陸町に入ってしばらく走っても「通りすがりから見るといたって平常」というのは変わらない。つまり、津波が来ていない所と来てしまった所では、全く別種の災害だということなのだろう。
そして1つのカーブを曲がった瞬間、風景が一変。川を遡って津波が押し寄せたのだろう。元々どんな風景なのか想像出来ない、瓦礫だらけの荒野に出た。災害の現場についたということだ。
★まずはボランティアセンターへ
今は、ボランティアセンターが開く時間を待っている。周辺には多くの車が駐車してあり、車中泊のボランティアさん達がそれぞれ身支度。まずは自分が健康で地に足つけてないと支援出来ないしね、という感じで、少しのどかな雰囲気すらある。ボランティアセンターをバックにピースサインで写真をとる団体さんとかね。
長期滞在しているうちの社員にも会えて、彼が禁断症状になっているであろうジャンクフードのお土産を渡す。これから受付。