理解が浅いと人にも寛容になれない。
エンジニアではない人に、Linuxの使いかたを少しレクチャーする機会がありました。
僕は普段何気なくSSHを使ってターミナルからログインし、
所定のディレクトリを操作したりViで編集したりgitコマンドでpullやcommitやpushをしたりしていましたが、
やはり苦戦していました。(cd や ls から)
それを見て、そういえば自分もエンジニアではなく(自分がエンジニアだと思ったことはない)、
最初は見様見真似で本物のエンジニアの作業を見たり、本に喰らいついたりして覚えていったことを思い出しました。
僕は比較的非エンジニアが思うエンジニアについて理解しているつもりではあります。
コミュニケーションが難しいとか、言っていることが意味わからないとか、あれやこれや。。。
ただ、畑違いのところにいきなり来てもやはりわからないし慣れるまでは時間がかかってしまいます。
「知らない」というのはある側面から見ると可愛そうなことですが、別の側面から見ると幸せなことでもあります。
新しく知ることでの感動を、知っている人よりも多くこれから経験できる可能性があるわけですから。
レクチャーしながら、とある本の一文が頭をよぎりました。
文章術の本だったのですが、こう書いてありました。
自らが語ろうとする対象について、まだまだ理解が浅いから、小さな嘘が出てしまう。
自分が教えている立場でも、様々な質問が出てきます。
それに1つ1つしっかり答えられないようでは、どれだけ威張っていても理解が浅い小さい人間という烙印が押されます。
自分の理解が浅いから人にも寛容になれないのです。
僕も肝に銘じて理解と常に新しいものを理解しながら吸収していくことが重要だなと改めて感じました。
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