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文系学部からITベンチャー企業へ進んだ男が考えていること、感じたこと、未来のことなどを書きます。

選択肢が多いことは決して幸せなことではないが、視野を広く持ち見える選択肢を自分で考えられることを目指すべき

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昨日とあるカフェに行ったときのこと。
そこは穴場で利用客はいるのですが、混んでおらずそれぞれがくつろいだりおしゃべりを楽しんだり、 PCでなにかカタカタやっているような場所でした。

そこにおそらく20代後半〜30歳くらいの男と、同年代くらいの男の合計2名がやってきました。
ソファーの席に鎮座し、何やら話をしていました。

10分ほど経過したあとに、同年代くらいの男の友達かと思われる、20代半ばくらいかと思われる男性がやってきて、 鎮座している男の対面に座りました。

なんだろうかと思っていると、
「起業しないの?」
「今はどんなことやってんの?それでいいの?」
「〇〇さんの話はすごく良くて、俺の道標になってるんだよ。」

といったような話が聞こえてきます。
どうやら、起業やフリーランスのビジネス&自己啓発系のグループのようでした。

その後も20代半ばの男性と30分位話をしたあとに入れ替わるかのように入ってきたのは20代の女性2人。
やはり同じような話をしていました。

こういう系の話は僕自身も何度か言われたことがあるのですが、
本当に信念を持って起業家やその人のためになるビジネスを一緒に考えていく団体やグループもあります。しかし それ以上に明らか怪しい系のグループのほうが残念なことに数が多そうなイメージです。

鎮座している男性に話をしていた20代半ば男性も20代女性も話が終わったあとはスッキリしたような顔をしていたので まあ良かったのかも知れませんが、
こういったように「将来どうしたら良いのだろう?」と悩む若者は一昔前よりも増えているのではないでしょうか。

選択肢が多いことの弊害

原因としては、自分の中ではっきりしていて
選択肢が多くなったから
だと思います。
つまり、選択肢が多いことの弊害です。

大学も文部科学統計要覧(平成30年版) によると、日本の大学の合計数は780校、そのうちの私立大学の割合は77.4%だそうです。

選択肢が多いと、その選択に十分な知識や考えを持っていない場合には困ってしまいます。
おそらく今の日本の大人の7割くらいは今高校生くらいで現代と同じような選択を迫られた場合困ると思いますね。
でも高校生では仕方がないですよね。高校生で自分の進むべき道がしっかり見えていて突き進める人のほうがマイノリティだと思います。

では、選択肢はある程度狭めたほうが良いのでしょうか。

良いのは、視野は広く、自分の突き進みたい道を探していくこと

僕の考えとしては、視野は広く、自分の突き進みたい道を探していくことが良いと思っています。
そのためには、僕のように今20代後半に差し掛かったような人間や、 信念を持って夢に向かっている若者がもっと発信をし、10代〜20代の人がよりキャッチアップできるような環境整備が必要だと考えています。

田舎時代に思ったこと

これは実体験なのですが、僕は新潟県で生まれ、ちょうどインターネットはありましたが自分のPCはなく、 スマートフォンもありませんでした。

高校時代自分が使っていたガラケーは、これです。(SH-02A)

東京に来るまでは、パソコンもあまり触ったことがなく、情報といえばテレビかTSUTAYAで借りてきたDVD、雑誌という 田舎ではごく一般的な田舎ライフを過ごしていました。 そんな中でしたから、東京でどんなことが起こっているのかも知らず、社会が動いたようなホリエモンの逮捕についてもリーマンショックについても「ふ〜ん」 くらいの感情しか持てませんでした。

学生時代だと通常であれば部活に費やしたりするのでしょうが、そういう事ができずに漫然と過ごしていた自分には見えていた選択肢が多くなかったように思います。
そのため、親が勧める地元国立大からの地元地銀への就職ルートや公務員へのルートくらいしか提示されていた選択肢がなく、 それを受け入れるのか反発するのかの2択という選択肢で、僕は反発し地元を離れて東京に行くことに決めました。

東京にきて、インターネットを深く知り、様々な人達に会い話をしていく中で、 地元にいた高校生までの期間でもっと
*「こうなりたい!」 という大人(決して世間で立派と言われるような大人でなくてもいい)の話を聞き、話をするという場がどれだけあるかが 非常にその後の人生への影響が高まるなぁと実感しました。 *

個人的に思っていたことなので違う部分もあるかも知れませんが、 地方(地方都市の中心は例外)には、ある一定の価値観や考え方が暗黙的に漂っているように思います。
「こうするのが良いんだよ。周りだってこうしているじゃん。」というあれです。
これはその地方固有のアイデンティティとテレビなどのマスメディアの意見が混ざり合って出来上がったものだと思っています。

しかし、東京はこの点いい意味でとても特殊で地方固有のアイデンティティなんて通用しません。
テレビを見ている人は田舎ほどいなく、インターネットや実際に足を運んでいろいろな体験や意見交換をしています。
つまり、東京には決まった価値観はなく、各人それぞれにオリジナルの独自性があり非常に面白いのです。

人間は悩む生き物

人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である フランスの思想家パスカルが『パンセ』の中で表現した言葉です。

自然の中では人間なんて最も弱い葦のようなものだが、しかしその葦は考える葦なのです。その考えるという行為ができることが 人間という存在が偉大で尊厳があるということを言っています。

考えるという行為には、当然悩むという行為も内包されています。その悩みも人間の偉大さを表しています。

学び方改革

日本では、幼稚園からお受験がありますね。
小学校に行ったら、中高一貫校に入るために受験受験の日々を過ごしている子供もいるでしょう。
中学に入ったら、今度は高校受験を周りから言われている子供もいるでしょう。
高校に入ったら、大学受験で塾に予備校に補習授業にと、もうひどいものです。

子どもたちにも働き方改革ならぬ学び方改革(正確には学ばせ方改革かも知れませんが笑)を伝えていかないと日本の底上げはできないと思います

僕の考える学び方改革とは、別に三角関数やsin, cosの加法定理、指数関数や微分積分の解き方を学ぶだけではなく、
この知識が今後飛び込む社会のどういうところに生きてくるのか、身近でどういうところに活用されているのかという 意義や目的を伝えることに時間を使うことだと思います。
僕が学生のときにはあまりこういうことを教えてくれる大人はいなく、結局受験ゲームになっていました。
そのために、未だに微分や積分などがスバリ社会のどういったところに利用されているのか、それによって僕らはどういう恩恵を受けているのか。そしてその知識を持っていると将来どういう役に立つのかはわかりません笑。数学だけでなく、化学も国語も同じようなものです。

まとめ

休日ということもあり、こういう思ったことを徒然と書いてきましたが僕の中では今回書いたように地方の若者の情報格差(実際には地方の若者の親のリテラシーや考え方になるのでしょう)を是正し、やる気と才能溢れた地方でくすぶっている人をエンハンスし、一緒に面白いことをしていけたら良いなと思ってこんなことを書きました。

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