若者世代はなんのために頑張っているのか?
明けましておめでとうございます。 2019年、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2019年1回目は、今年の抱負!ではなく、 『若者の考えるチームや個人』について書いてみようと思います。
というのも、
朝日新聞デジタルの「&M(アンド・エム)」で以下の記事を見たからです。
「チームのために頑張ろう!」と言わない青学・原監督の若者掌握術
なんのために頑張る?
そもそも今の若者世代(20〜30代前半くらい)が日々の仕事において、なんのために頑張っているのでしょう? 一昔前(世代の方申し訳ございません)は、
- モテるため
- いい車に乗るため
- ブランド物を買うため
- 海外旅行に行くため
- 会社のため
- 生活するため
- 食べるため
- 生活するため
- 食べるため
もしこのマズローで言う2階層目(生理的欲求と安全の欲求)までしか働く動機にないのだとしたらそれはそれで悲しいですね。
何がどう変化していったのでしょう。そして、今の若者はなんのために頑張っているのでしょう。
若者は個人主義へ
まず、全体としてあるのは、**「みんなのため」ではなく、「自分のため」に頑張っている**
ということです。 そう言うと「えっ、チームのためにやってるよ!!」 という人もいると思いますが、全体の傾向として本質的な部分では
**確かに自分のために働いている**のです。
例えば、会社員で非常に困難な仕事に直面しているとします。そのときに考えることは、
「これをやり遂げれば会社やチームにとってこれだけのメリットが出せる!」
ではないのです。
むしろ、 **「これをやり遂げれば自分にとってこういう能力や経験が身につく。それは今後の自分において大きなベネフィットがあるんだ!!」**
という動機に基づいて行動を行っています。 チームのためや組織のため、というのはある意味結果論にすぎないと言っても過言ではありません。 また、上司が部下に発破をかける際にも、
「業績を上げていけばモデルや芸能人とパーティーができるぞ!」
と言ったとします。
若者世代はどう思うでしょう?
「よっしゃ!めっちゃ頑張りますよ!!」
というようには多くの場合なりません。
「いや、内輪で居酒屋とかでこじんまり飲みたいですよ。」
となるのです。 時代の変化ということなのですが、結構ギャップがありますよね。 「&M」の記事の中で、青山学院大学の駅伝の例がありました。有名な原監督は、選手たちに、
というのだそうです。実績のある指導者の方もこういう発想をしているのです。 それもこれも、世界的に変化のスピードが指数関数的に上がってきているこの21世紀において、**いったい何が重要なのか?**という認識が大きく変わってきているのだと思います。主語を常に「君にとって」という言い方にしないといけないんだ、と。 「こういう練習をしてこういう選手になったほうが、 社会人になってからもマラソンを続けるという意味では、 君にとっていいはずだ。チームにとってじゃない、君にとっていいんだ」と。 本人も、納得さえすれば、結構頑張るそうなんです。
スマートフォンの浸透とソフトウェアの進化、AIの台頭やシンギュラリティという言葉の発生、
IoTや自動運転車などおそらく僕が生まれた1990年台には20年そこそこでここまで来ることを想像していた人は少ないのではと思います。 年末年始をはさみ、地元の仲間とも話をしてみて思ったこと、また冒頭で紹介した「&M」の記事を読んで、 この全体的な傾向を2つに分解してみます。
大きく「都会型」と「地方型」で分けられると思っています。
都会型
都会型は、**自分の成長のために会社やコミュニティを利用**します。「&M」の記事にもあるのですが、オンラインサロンが現在盛り上がっています。
これ、月額を払って「やりがいのあるプロジェクト(ある意味労働)」を買っているビジネスとも言えます。 引用すると、記事の尾原さんは
やりたいことと所属している組織でやるべきことが一致していない。僕はこの現象を「生きがい搾取」という言い方をしたんですね。 つまり、なぜ若い人たちが責任を取りたくないかというと、自分がやりたいことと、 会社から言われることが、残念ながら一致できていないから。 つまり、単に若い人に原因があるのではなくて、双方に問題がある。 与える側も、受け取る側にも。
その中で、若者と自分のモチベーションを一致させたものを提供できる堀江さんのような人は、 給料を払うどころか、むしろユーザーさんからお金をもらって、 やりがいのある労働を提供する、みたいな逆転現象が起こっている。
昔はそもそも「これをやりたい!」という考えが会社の中のことで済んだのだろうと思います。
なぜか?それは、**選択肢の多様化**が要因だと思います。
昔は得られる情報としては、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、書籍といった、「組織が噛んで発信されている情報」が割合多数を占めていました。
それゆえに、若者の価値観が多様化しづらかったのではないでしょうか。
なので一定の価値観に賛成の若者はその枠で人生を歩んでいくし、一定の価値観に反対の若者が反社会的、不良などと呼ばれる**二項対立**が発生していたのではと思います。 しかし、もうすぐ2020年になろうとしている今、情報の取得はスマートフォンという常時インターネット接続ができるデバイスをほとんどの若者が所有しているため、ここからいつでもどこでも取得できます。
また、情報発信にいたっては個人が文章、動画、写真などで自由に表現し発信できる様になりました。
「こんな面白いこと一人でやっている人いるんだ!」
という発信を行い、世界中の人々へ認知してもらうことも賛同してもらうことも可能になりました。 オンラインサロンは、現代を象徴するビジネスだと思います。実際このようなサロンで様々な人が出会い、 新しいイノベーションが生まれていますし、SNSでの人と人とのつながりというのは今後ますます重要視されていくのだと思います。
地方型
一方の地方型は**マイルドヤンキー**(今は死語?)が関係してきます。**成長や昇進よりも、仲間、安定、周りの目が働く動機**だったりしているように感じます。
マイルドヤンキーは、
(参照)[https://bizwords.jp/archives/1058805769.html](https://bizwords.jp/archives/1058805769.html "https://bizwords.jp/archives/1058805769.html")"暴力や反社会的な行動を好まず、精神やファッションも穏やか(マイルド)になった若者(ヤンキー)たち"
という造語です。
暴力や反社会的行動にエネルギーが向かないため、
- 地元
- 仲間
- 車
- 家
などを大事にしアイデンティティとする傾向にあるようで、 自身の成長や昇進、野望などにはあまり関心が無い若者が地方でも顕著なようです。
僕も新潟県出身ですので、地方出身です。近くにイオンはありますし、大型のパチンコ屋もいくつもあります。
車社会のため、車を持っていないと生活ができないレベルです。
実際に地元で1度就職をしてしまったら、会社都合で転勤や出張がない限りは、
東京で暮らしてみたい、海外で勝負してみたいのような感情は生まれにくいのかなぁと空気感で感じました。
多様な選択肢が見えていないのか、選べない環境にあるのでしょう。
今回のテーマは、若者がなんのために頑張っているのか?
という動機の部分ですので、これがいい悪いという議論ではないです。
若者の地方離れが深刻化していると言われて久しい昨今で、地元で頑張る若者はとても貴重で必要不可欠な存在です。
地方の経済や発展、活性化に大きく関わってきます。
個人主義の先に
書いてきたように、都会型も地方型も「個人主義」が若者が頑張る動機の根幹になってきています。
その中で、都会型は自分の成長のために会社やコミュニティを利用するというマインドを持っているのに対し、
地方型は目の届くところにある地元や仲間との時間を大事にしたいという動機で会社を利用しているマインドを持っています。
双方とも何かの目的で作られた組織やチームへのベクトルではなく、
自分自身や自分の周りのコンフォートゾーンに目が向いているのがこの世代の若者の特徴なのではないのかなと思いました。
この個人主義マインド、皆様はどう思いますか? そして、この個人主義マインドの先に何があると思いますか?
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